●20代女性スタッフが社長に「卑怯者」と言い放った理由
―― 許す、認めるという部分ですけれども、田村先生が高知支店にいたときに、「本社と戦う」という要素もあったと思うのですが、ただ「敵」として本社と戦っているわけではなかった。先ほどおっしゃったように、いかに本社の施策を「良いほう」に持っていくかということで説得されたりとか、本社の事情もわかったうえで、いろいろ働きかけて思うほうに持っていかれていますよね。
ある意味で、サラリーマンなら、ビールを飲みながら「本社はバカだよね」といっていれば済む話を、それで済まさずに、いかに変えていくか、いろいろ工夫されたと思います。そのあたりは具体的にどのようにされたのでしょうか。
田村 最初は、キリンビールの理念を自分が受け継ぐのだと決めたわけですよね。それで、高知の人を幸せにするのだ、と。「高知はこうしたい」、しかし、本社の政策は違う。すると本社に行って、正しい政策に変えてもらうのが、高知支店長である自分の仕事になるわけです。主役は本社ですから、わかるように話して、変えてもらう。そういうことは、メンバーは皆、知っていますから、「そうなのか、すべてが高知のお客さんのためなのか」「本社の指示を活用して、自分たちで考えてやっていこう」となるわけです。
そうすると、エネルギーが社内から外に向かっていくので、その向こうのお客さんが喜んでくださる。自分たちのために一生懸命やってくれてうれしいと感謝してくださる。ありがとうといってくれる。それがセールス、営業としてはうれしいわけですよ。
―― 象徴的な事例として、『キリンビール高知支店の奇跡』を読むと、ラガーの味を戻したという話が載っています。どのようなお話だったのでしょうか。
田村 高知には「昔のラガーの味がいいんだ」という人が圧倒的に多かった。そのことを本社には伝えていました。ところが、数年前にラガーは苦味が強すぎるからと、あまり苦くないラガーに変えて大失敗していた。ただ、元に戻すと、キリンビールはブレているとマスコミからいわれるから、半分戻すとか、中途半端なことを社長がいっていたのです。
そのときに、高知支店のメンバーの当時25歳くらいの女性が立ち上がって、社長を指さして、「あなたは卑怯者です。せっかくこんなに高知の人が昔のラガーがいいといっているのに、味を半分戻してマスコミにいわない。苦味とかコクの値を半分に戻すというのは卑怯です」といった。社長は、あとで私を怒っていましたけれどもね。
なぜ、そういうことが起きたかというと、高知支店の文化になっていたわけです。つまり、本社の指示をこなすのが仕事ではなく、高知の人に喜んでもらうのが仕事だ。そのためには社長にも意見を変えてもらわないといけない。それは当然のことで、役割が違うだけであって、お客さんに喜んでもらう、そこに向かうことについては上も下もない。だから自分の意見を堂々といって、議論して、結論を出して、それを自分たちがやっていく。そういう理念によるマネジメントになっていたのです。
すべてが理念なのです。お客さんに喜んでもらう。そこに向かってやっているわけだから、社長が間違っていれば、間違っているといわないといけないという責任感ですね。その女性だけでなく、全員がそうなっていました。だからこそ、その女性は、そのようなことをいったのをすぐに忘れていました。すべてがお客様のためということで、当然のことをしただけだと。そういうやり方の中で、運命、宿命がだんだんとわかってきたのだと思うのです。
執行 だから、自然とやったということですね。
田村 自然とやった結果、自分が何者かを感じるようになったのです。
●文句や拒否が1つでもあると「運命」は動かない
執行 それが運命です。運命というのは、本当の自己がわかってくることですから。
田村 そうなのです。自分が何者かがわかってきていました。
執行 一番大切なことは、過去を全部受け入れることです。過去で1つでも嫌なこと、会社なら文句とか拒否、それが1つでもあると運命というのは動かない。これは僕が長年、自分も含めていろいろなことを、過去の人から本の上でも見てきて、全日本人、全世界の人が共通だとわかった。
田村 そのことに通じるかどうかはわかりませんが、高知支店があまりにも数字が悪くなってしまったので、本社がしょっちゅう調査チームを送ってきて、分析していました。しかし、分析すればするほど、わからなくなってしまう。売れない理由はわかるのです。「こういう理由でキリンが嫌だ」とよくいわれますから。ただ、「こうやったらいい」というのはわからないのです。
だいたい、どこの会社も、「課題の発見」が仕事です。課題を発見しようとすると、「弱点」...