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理念を自分の腹に落として行動していく「野獣性」の大切さ

真のやる気とは何か(11)生き方ではなく、死に方を考える

対談 | 執行草舟田村潤
概要・テキスト
いかに生きるべきかを考えるのが文学だが、生き方は「死に方」を定めなければはっきりしない。「自分はいかに生きるべきか」ばかりを考えていると、エゴイズムに陥ってしまう。一方、「死に方」を考えると、「誰かのため」ということが自ずから出てくるものである。また、昔の日本人が持っていた死生観、アンドレ・ジードの小説に通底するテーマ、そしてパナソニック創業者の松下幸之助の凄みを見ていくと、単なる「知性」だけでなく、それと共に、理念を自分の腹に落として断固として行動していく「野獣性」が大切であることもわかってくる。エゴイズムに陥らない「真のやる気」を探る。(全14話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:27
収録日:2020/04/10
追加日:2020/09/11
カテゴリー:
≪全文≫

●「自分がいかに生きるか」だけを考える人はエゴイズムに陥る


執行 「人間はいかに生くべきか」ということは、「いかに死すべきか」ということなのです。「死生観」ということで僕はみんなに話していますが、人間は死に方を決めなかったら、生き方はわからない。

 だから、今いったように「生き方を考えている人」は全員エゴイズムになってしまう。結局、人間などというのは、「自分がどう生きるべきか」だけ考えていれば、自分の幸福だけを考えるようになる。しかし、「自分がどう死ぬべきか」をまず決めると、エゴイズムの観点で決める人はいない。

 やはり人間は、国なのか、会社なのか、家族なのか、愛する人なのか、そういうもののために何かして死ぬことになる。だから、それが一つの個人の理念になる。だから、死生観、死ぬことを決めるのが重要なのです。

 僕は、みんなに話しているのだけど、一番簡単な昔の死生観、庶民がいった死生観は、「家族に囲まれて畳の上で死にたい」ということ。これには教養がいらない。程度が低いという意味ではありません。死生観だからこれでいいのです。

 とても重要なのは、「畳の上で家族に囲まれて死にたい」という考え方を、昔の人のように自分の人生の根源としてぶっ立てると、どんなに過酷でつらくても、家族を大切にし、女房と毎日喧嘩していようが離婚はしない。離婚しないためには、そういう死生観が必要だということなのです。僕が小さいころに、いろいろな人に聞いた人生観では、「畳の上で家族に囲まれて死にたい」というのが一番多かった。「くだらないな」と子どものころは思っていたのだけど、これはくだらなくないのです。今の人はそういう死生観すら持っていない。浮き草になってしまっています。

 死生観が決まらないと、結局、自分の幸福だけを追いかける人間になる。ちょうど文学の話が出たからいうと、僕は、アンドレ ・ジードが好きなのですが、彼の作品『狭き門』の中で「人間というのは、幸福になるために生まれてきたのではない」ということを主人公のアリサが話します。これも重要な思想で、人間は自分が幸福になるために生まれてきたのではないということが、アンドレ・ジードには『田園交響楽』だとか『狭き門』だとか、いろいろな文学があるのだけど、そこに書いてある根源的なテーマなのです。僕は大好きなのですが。事実、そういう言葉を...
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