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下品にならない「やる気」の秘密はロマンティシズムにある

真のやる気とは何か(1)キリンビールに受けつがれる武士道とは?

対談 | 執行草舟田村潤
情報・テキスト
実業家であり著述家でもある執行草舟氏と、元キリンビール副社長の田村潤氏が、「真のやる気」について語り合う。田村氏はキリンビールが、アサヒビールのスーパードライに押されて最も苦戦していた時期に高知支店長となり、現場のやる気を高めてシェア奪還に成功。その後、四国4県、さらに東海地区でも営業責任者として実績を上げ、キリンビール代表取締役副社長になった。なぜ、どのようにして現場のやる気を高めることができたのか。その背景には、キリンビールの原点に息づいていた武士道精神があった。その精神があればこそ、キリンビールのやる気は下品ではなく、品格があるのである。キリンに脈々と引き継がれる「ただひたすらにおいしいビールをお客さまのために」というロマンの源泉に迫る。(全14話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:12:23
収録日:2020/04/10
追加日:2020/07/03
キーワード:
≪全文≫

●売れすぎて困っていたキリンビール、一転劣勢へ


―― 皆さま、こんにちは。本日は執行草舟先生と田村潤先生に「真のやる気とは何か」というテーマでお話をいただきたいと思っております。先生方、どうぞよろしくお願いいたします。

執行 よろしくお願いします。

田村 よろしくお願いします。

―― 田村先生はテンミニッツに初めてのご登場ということになります。皆さま、ご存じのことと思いますけれども、『キリンビール高知支店の奇跡』というベストセラーをお書きになった方であり、キリンビールにお勤めになって高知支店で奇跡を起こされました。高知支店に行かれたのが、1995年でしょうか。

田村 そうですね。

―― アサヒビールのスーパードライが、1987年にできて、ぐいぐいとシェアを伸ばしたことで、それまで横綱だったキリンの地位が脅かされる。そうした時代に高知支店に行かれたということです。そのころのことを手短にご紹介いただけますでしょうか。

田村 キリンビールという会社は、昔は非常に売れていた会社でありまして、売れすぎて困っていた時代が長かった。そのため、お客さまのことを考える必要がなく、とにかく割り当てをして、うまくやっていればいいんだという内向きな会社になっていたのです。

 そのまま売れ続けていればよかったのですが、やはりそううまくはいきません。今おっしゃったように、アサヒスーパードライが登場して、63%あったキリンのビールのシェアが一気に50%に下がったのです。そして、しばらくキリンの低迷期が続くというとき、1995年に高知支店に行きました。

 キリンビールは、一時、シェアが六十数%ありましたが、工場さえあればシェアは85%とれるという超ガリバーの会社でした。好業績の理由は、今日の話にも通じるのですが、昔のキリンビールは非常に理念的な会社だったからなのです。ひたすら「おいしいビールを、お客さまのためにつくっていく」、そこに向かって挑戦している会社でした。それが功を奏して大変売れて、今度は売れすぎて独占禁止法に抵触するということになって、むしろシェアを下げないといけないという管理的な時代が続いたという、ちょっと珍しい会社なのです。

―― しかし、奈落に落ち始めたときに、高知支店に赴任されたということですね。

田村 はい。

―― 赴任されたときは、どんどん負けていくような状況ですね。

田村 スーパードライの波が、全国に広がっているときで、シェアは何とか5割をキープしていたのですが、このままいくとドッと下がっていくことが予想されていました。

 当時、特に売れていたのが、キリンラガービールで、トップブランドの座をスーパードライに譲ることになりそうだということがわかったのが、1995年。ちょうどその翌年、高知支店で支店長として陣頭指揮をとることになったのです。

―― まさに一番厳しい局面のときに高知支店に行かれて、今日のテーマにつながる「やる気」、現場の皆さんのやる気を高めてシェアを奪還された。その後、四国4県の地区本部長、次には名古屋に移られて(営業本部東海地区本部長)、最後はキリンの副社長を務められたということですね。シェア奪還に向けて「やる気」を高めていったということで、どのようにやられたかという手法について、これからお話をうかがいたいと思います。

田村 はい。


●横浜工場は金儲けの工場ではなく、理想に挑戦する工場


―― まず、執行先生と田村先生の最初の出会いはどこだったのでしょうか。

執行 田村さんが戸嶋靖昌とか、僕がやっている美術事業に興味を持っていらっしゃった。僕の記憶では、最初にお会いする前にすでに僕の本を読んでいて、それで来てくださって話しあった。初めて会ったのはこの社長室でしたが、最初から意気投合しました。

田村 そうですね。

執行 もう大の仲良しというくらいの波動にすぐになった。最初の話も「人間のやる気」のようなことだったと記憶しています。見ればわかる通り、田村さんは非常に温厚な方です。超一流企業の副社長をやっていた方には、普通、田村さんのようなタイプの人はいない。だから、僕は非常に魅力を感じました。いい意味で、一流会社の副社長をやったという感じが全くないから、本当に最初から、「友達」だと思えるような人だったのです。

―― 田村先生は、最初に会われたとき、執行先生の印象はどのようなものだったのでしょうか。

田村 本を読む限りでは、昔の武士が現代に現れたような方で、当初はお目にかかれると思っていなかったので、お会いできるのが光栄でした。「親しく」というと失礼ですが、同じ目線に立っていただいて、いろいろなことをお話していただいたのはよく覚えています。

 少しさかのぼりますが、キリンビールにいたとき、どんどん会社法が変わってい...
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