●汚れのない「きれいごと」はない
―― 執行先生がおっしゃった運命、宿命を感じて会社に入るという人は少ないですよね。
執行 それはありません。
田村 それはないですよね。
―― キリンビールに入社するときに、「キリンこそ俺の宿命だ」と感じる人はいないということですね。いろいろな会社を比べて、たまたまご縁をいただいて入ったということですね。先ほど田村先生がおっしゃったように、サラリーマンというのは、まさに使用人ですから、「いわれたことをやって、給料をもらえばいいんですよね」という発想の人も大勢いると思うのです。サラリーマンの立場の私からすると、それを乗り越えて宿命にたどり着くプロセス、どうやったら宿命にたどり着けるのかをお聞きしたい。まず、田村先生が高知支店で宿命を見つけたわけですね?
田村 結果としてたどり着きました。
―― なぜその宿命を見つけられたのか。もちろん先ほどおっしゃった先輩から引き継いだ「良い伝統」というのはありますが、普通は伝統の話を聞いたとしても、きれいごとになってしまいますよね。
執行 おそらく田村さんの人格からいって、先輩から伝統を聞いて、わかっていたと思います。伝統というのはだいたい表面はきれいごとです。ところが、実際の歴史は、汚れたものもうんとある。家系でも、会社の歴史でも、汚れがないものはないのです。きれいなものを実現するためには、汚いことは誰かが責任を持って飲み込んでやっているわけです。
言い古されたことですが、「蓮の花は泥沼の中から咲いてくる」。その泥沼を引き受けるのを責任というのです。キリンビールも武士道を持った人が創業して、理念を持って始めたけれど、おそらく実際上は嫌なことばっかりだったと思うのです。
きっと田村さんは、その裏側のことを全部わかっていて、きれいごとの理念を理念として受け入れられる人だったということを僕は断定できる。汚いことが嫌いで、それこそきれいごとだけの趣味みたいなことをいっている人なら、部下も誰もついて来ないし、キリンビールの伝統だって何も生きないはずなのです。伝統の裏にある汚いものを田村さんは認知して、言葉はちょっと変だけれど、それを許すことができる人だった。そこが、キリンの伝統を生かせるようになったところだと僕は思います。
田村 当時は、ただもう追い詰められていました。高知支店が...