●自分の外にある身元保証を批判したデビュー論文
こんにちは。文芸批評家の浜崎洋介です。小林秀雄と吉本隆明を対比しながら、日本の近代を考えようという講座ですが、その第3回目です。いよいよ小林秀雄の批評、「様々なる意匠」というデビュー論文ですが、それに注目しつつ、それ以後の実践についても簡単にご紹介したいと思っています。
まず重要なのは、前回の講義の続きということでもありますが、日本人の生き方、まさに「型」ですね、それをなくしてしまったということが、昭和初年代に起こってしまうということです。
これは私自身が言っていることでもありますが、同時にみんなが言っていることでもあり、実は大正期に、すでに森鷗外という文学者が、「礼儀小言」というエッセーを書いています。その中でどんどん、どんどん昔ながらの生き方がなくなっていってしまい、その不安感の中で日本人が浮動しているということを言っています。
そして、それを取り上げながら、例えば唐木順三という文芸批評家がいますが、彼も『現代史への試み』という本を書いています。それほどまでに実は生き方をなくしてしまったということは、当時の非常に大きな主題だったのです。であるがゆえに、なくしてしまったその穴にいろんなものが流れ込むわけです。つまり、なくしてしまったそれを、いろんな理念で補おうとするわけです。
これが前回言ったプロレタリア文学、つまりマルクス主義を目標とした文学だったり、あるいは象徴主義、要するにこの世界を否定してもっと芸術的な世界だけに戯れようとするあり方だったり、あるいは新感覚派、つまり都会的なモダンな感覚に身を任せて、その中で感覚の断片を拾っていきながら文学をしようとするような、そのような派閥です。
そういったものがどんどん流行っていくわけですが、実は「様々なる意匠」という批評は、まさにそれらを批評した、あるいは批判したものだと言っていいかと思います。
つまりは自分の外にある理論、あるいは自分の外にある身元保証です。それによって自分を吊り支えるような、そういうイデオロギーを批判した試みを、昭和4(1927)年という、まさにマルクス主義が一番風靡しているそのど真ん中でやったというのが、まさに小林秀雄の最初のデビュー論文でした。
これは実は『改造』という雑誌に懸賞論文で送って、それに載るのですが、なんと次席なのです。近代批評をつくった男が2番だったということです。1番は誰かというと、これも知っている人が多いですが、日本共産党初代委員長の宮本顕治という人が最初取るのです。しかしながら、のちに残っていくのは小林秀雄だったといっていいでしょう。では、いったいどのようなことが語られていたのでしょうか。
ここで、簡単にというのがすごく難しいのですが、ひと言だけ、最初の冒頭だけご紹介することによって、その印象を持っていただけるのではないかと思います。例えば、彼はこう言っています。
「私はただ世の騒然たる文芸批評家等が、騒然と行動する必要のために見ぬ振りをした種々な事実」、つまりこれを彼は作家の宿命と言いたいのですが、その作家の宿命を「拾い上げたいと思う。〔中略〕私には常に舞台(意匠)」、つまり見せようとしている、あるいは見せている意匠より、「楽屋(作家の宿命)の方が面白い」という言い方をするのです。
つまり、いろんな身元保証を彼らは旗にしながら、それを目立たせながら自分の言葉を語っていた。それが「騒然と行動する」ということです。
しかしながら、そのようなことはどうでもいいと。彼らが見せようと思っている理論、見せようと思っている身元保証などに私は興味はない。むしろ単なる事実、それはその意匠を言わざるを得なかった彼自身の必然、つまり作家の宿命です。それに興味があるのだと言うわけです。
では、宿命とは何かというと、意味ではありません。意味というのは作家が見せようとしている理論の問題です。ということは、その背後にあるものですから、それをどうやって聞き届けることができるのかという問題が、次に出てくることになります。
そうすると、彼はそのときに1つの言葉を提示することになります。それが「意味」より手前にあるものとしての「直観」ということを非常に強調することになるわけです。意味は頭で私たちは理解することができますが、直観は意味からは接近することができないのです。こここそを聞き取ることが文芸批評なのだとはっきり言うわけです。
●直観を通じて社会と関わらせるという独自の理論
このように言ってもピンとこない人もいるやもしれないので、少しだけ例を出しておきましょう。例えば、「古池や蛙飛び込む水の音」。これは有名な芭蕉の...