●「自分は悪くない。あいつのせいだ」という大企業病
―― 田村先生が高知支店に赴任されたとき、武士道的な気風をなくしていたキリンはどういう状態だったのですか。
田村 大企業病ですね。「自分のできる範囲内でいわれたことをやっておけばいい」「会社の業績が悪いのは自分のせいではない」という、必ず人の責任にするような風土でした。
―― それまでは売れて売れてしようがなかったわけですから、逆に、いかに売らないでおくかというくらいのことまで考えていた。
田村 そうです。だから、「いわれたことさえやっていればいい」ということですよね。それだけなのです。それで良かったのが、今度は売れなくなってしまった。売れなくなったら、お手上げですよね。現場は「どうするんだ」「本社が悪い」といって、本社は「現場が悪いんだ」というような感じでしたね。
執行 要は一般にいう大企業病ですね。これはでも、どんな会社でも陥ることです。
―― それを田村先生は、どう乗り越えていったのか、というところですが。
執行 そこが田村さんの「やる気」の一番おもしろいところなのです。僕は創業実業家だから、最初から自分の武士道精神に基づいた「やる気」でやってきたタイプですが、田村さんは、武士道でやってきた会社が1回大企業病に陥って、それをまた立て直したのが「キリンビール高知支店」ですから。そういう意味では非常におもしろい。
田村 現場にいたのが良かったですね。
執行 そうですよ。
田村 現場に本質が、やはりありました。
―― 具体的にはどういうプロセスだったのですか。赴任したときの高知支店はどういう状況だったのですか。
田村 とにかく、みんな人のせいなのです。
執行 根本のところがですね。
田村 ですから、危機感がない。
執行 先ほどお話した「自己信頼」の反対ですね。
田村 そうなのです。
執行 これはみんな、なるのです。今の日本の姿がそうです。何でもかんでも人のせい。
田村 ほとんど人のせいなんですよ。キリンビールがそうだったんですよ。
執行 これが大企業病ですね。
田村 そうなのです。自分の問題として捉えられなくなってしまうのです。もし、自分の問題として捉えれば、「自分が大事だったら、共同体が大事」そして「日本が大事」ですよね。そちらに行かないのです。必ず「誰かが悪い」という。キリンビール高知支店のときを思い出します。
執行 悪い状態にあるのだったら、それを立て直そうと思えばいいのですが、そう思わないのです。人が悪いのなら、悪くていいのです。これが大企業病ですね。
●自分の運命を本当に信じられないなら、やる気にならないほうがいい
田村 そうです。人が悪いといっている。でも、自分とその人は違うわけですから、その人が変わらない限り、自分はずっと文句を言い続けていかないといけない。そういう不幸な人生を送ることになってしまうのです。
執行 それは、エマーソンのいう自己信頼とか、精神的な本当のやる気を身につけていないからです。最初からいっているように、やる気というのは、わりと簡単そうですが、文化的な深いところから出てこないと駄目なのです。
だからそこは難しい。本当に自分の運命というものを掴まないと、真のやる気というのはわからない。エマーソンの時代は、信仰心、プロテスタンティズムが、自分というものをまっ裸にした。信仰というのは、神と対面することになるから、おそらくですが、19世紀の信仰が深かった人は、悪いところも、良いところも含めて、自分が丸裸になったと思うのです。そこから出てくるのが自己信頼なのです。
でも、日本はキリスト教の国でもないし、信仰も別にない。日本人がどうしたらいいかというと、僕はいつもいっているのですが、武士道精神の中心でもある「自分の運命を信じる」ことです。
運命から出てきた信頼以外は、ほとんど下品に流れる。自分の運命を本当に信じないなら、変な言い方ですが、「やる気」にはならないほうがいい。それが僕は、今の日本の姿だと思う。わりと若い人が無気力ですが、無気力なのはどうしてかというと、やる気になると悪い人間になるのだと思うのです。無気力でいないと、ちゃんとした良識のある人間として生きられないから、無気力なのです。それは何かというと、本当の心の底から出てくるやる気になれる文化が、今はないということなのです。
やる気になる文化というのは、「運命論」なのです。だから、田村さんがキリンビールをV字回復させることができたのは、おそらく、部下たちの運命に対して、知らないうちに刺激して、自分の運命をみんなが生かそうとするようにしたのだと思うのです。
田村 私の場合は、最後のほうに運命を感じたんですね。それはやはり、キリンビー...