●「幸福は最善」とアリストテレスは言うけれど
津崎 今日、ここまでいろいろ話してきて、そんなに幸せって大事かな、幸せにならなきゃいけないのかな、僕たち、と思えてきました。
五十嵐 「幸せになる」というのはともかく、「幸せである」ことは選択できるんじゃないかなと思う。「幸せになる」ためには、外的な条件がいろいろあるから。
津崎 もうちょっと言い直すと、「幸せである」状況というのは端的に良いことかな?
五十嵐 良いことなんじゃない?
津崎 アリストテレスはそういうふうに言うよね。「幸福は最善である」と。
五十嵐 そう。
津崎 最善というのは、最も良いこと、最も美しいこと、最も素晴らしいこと。でも、幸福であるというのは「最善」とまで言ってもいいかどうか。
五十嵐 え、ダメなの?
津崎 パスカルという人物――彼を哲学者とするかどうかは大問題だけど――、17世紀のフランスで、気圧とか真空とかを研究した人がいるでしょう?
五十嵐 ヘクトパスカル。
津崎 そう、ヘクトパスカルのパスカル。「ヘクト」は苗字でもなんでもなくて、単位のこと〔メートル法における単位名の接頭辞で、基本単位の100倍であることを表す〕。
そのヘクトパスカルのパスカルは、「人は不幸から逃れている」と言っている。
●パスカルもフロイトも幸福には懐疑的?
津崎 あるいは、フロイトは「人は幸福を求めて病になる」と言う。
パスカルは「人は不幸から逃れている」と言うし、フロイトは「人は幸福を求めて病になる」と言う。フロイトがそう考えているのは神経症のことだけれども、つまり……。
五十嵐 それって、同じこと?
津崎 一応、分けて考えなきゃいけないけれども、「幸福とは最高善だよね」というアリストテレスのさっぱりした清々しい世界観から比べると、なんかこう緑青したたるというか。
五十嵐 パスカルとフロイトで似ているなと思うのは、パスカルが「人は不幸から逃れている」というのは、自分が不幸だと思っていて、不幸であることに耐えられないから、それを忘却するためにギャンブルに走ったり、とか。
津崎 「気晴らし」ね。
五十嵐 そうなったりする。フロイトのほうも、幸福を求めて病になるというのは、やっぱり基本に「わたしは不幸だ」というのがあるから、今の状況から逃れるために、気晴らしじゃなくて病気になる。
●「幸福」な状態とは「欲望」のない状況
津崎 フロイトの場合は、不幸ということもあるだろうし、もうちょっとフロイトらしい言葉を使うと、「リビドー」だね。つまり、欲望をコントロールしきれていない状態が僕たちのデフォルトで、その欲望をなんとかコントロールするためにギャンブルをしたり、お酒に溺れるまでいかないにしても、あるいは何かこう……。
五十嵐 そこから逃げるために、ね。
津崎 そうそう。欲望って、ほら、満たしてあげないと暴動しちゃうから。それを満たすためにギャンブルとか。ギャンブルというと、ちょっと暗いニュアンスになるけれども。
五十嵐 でもギャンブルにはまる人もいれば、お酒とかも、ね。
津崎 賭け事とかお酒にはまったり、ある種の食べ物に異常に固執してみたり。
五十嵐 あと、人のためにすごく尽くす人がいて、そこで感謝されて自分を埋めたい、とかね。
津崎 それらは、満たされない欲望を満たすためにそうしているわけだけど、なんでそうしているかというと、結局幸せになりたいからなんだよね。欲望が満たされたときは幸せだから。逆に言うと、幸せなときは欲望がない。欲望があるときは幸せじゃない。定義上というか、論理的に考えると、僕たちが幸せである状態というのは、「欲望がない」という状況。快楽のある状況というのは、「欲望がない」状況。
五十嵐 全然違う話をしてもいいですか。
津崎 別の角度からね。(視聴者へ)皆さんには申しわけないですけど、「哲学カフェ」は、こういうことなので(ご了承ください)。
●「BMIの法則」と「ライオン食べ」が示す満足の違い
五十嵐 この前、「哲学カフェ」でうちの院生の人たちと盛岡に行ったの。そのときに「BMIの法則」というのを見つけちゃって。
津崎 BMI?
五十嵐 BMIというのは、身長と体重で……。
津崎 肥満とか痩せ型とかを測るやつね。
五十嵐 そう。で、わたしを入れると五人なんだけど、BMIの普通体重というの...