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記号として生きるのが「本当のあなた?」とハイデガーは問う

「幸福とは何か」を考えてみよう(9)ガチでわたしらしく、やりませんか

情報・テキスト
古今の哲学者を通して幸福や幸運について対話してきた「哲学カフェ」だが、最終回ではハイデガーの思想が語られる。他者からの「記号的存在」を超えた「本来的存在」として生きるには、自らの存在の本質について問い、一瞬ごとに賭ける姿勢が必要になる。それは「今、ここ」を大事にすることにもなる。(全9話中9話)
時間:10:59
収録日:2020/03/19
追加日:2020/09/25
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≪全文≫

●ハイデガーが問う「わたし」と「記号」と「本来的存在」


津崎 となってくると、ちょっと光が見えてきたかな。

五十嵐 最初から光っていたと思うけど(笑)。

津崎 光っていた。幸福から、幸運の話も少し出てきて、いろんな哲学者を見てきたけれども、やっぱり話は尽きない。

五十嵐 そう。だから次はハイデガー、(わたしの)専門の。

津崎 ようやく出てきた。視聴者の方は、あとどれくらい聞いたら核心に着くんだろうか、と思っているかもしれない。

五十嵐 本当に。でも、最初から核心といえば核心ですよ。

津崎 いよいよお待ちかねのハイデガー。

五十嵐 「お待ちかね」と言われると、ちょっと緊張する。ハイデガーが、「わたしたちってみんな、いろいろな記号で生きている」と言っている。例えば先生、哲学者、お父さん、中学生、男、女、ユダヤ人、ナチス……。そういういろんな記号を自分で引き受けて生きている。

 その記号としてしか世界のなかにいられないから、わたしはやっぱり「○○として」(例えば、女として、女だてらに、女のくせに、その女のなかで……)しか頑張れないし、○○としてしか評価されない。だけど、「それが本当のあなたなの?」とハイデガーは問いかけてくる。

 「わたしは女だ」と思って育ってきたんだけど、ハイデガーは、「それって、本当にそうなの? それとも、そういう記号を自分に当てはめて、その記号として100点を目指しているだけなんじゃないの? それ、やっていて幸せなの?」と。

 それは、幸せじゃない。「だって、ほら、見てみなさいよ。世界中の人がみんなそうやっているけど、それで幸せかといったら、みんなつらそうな顔しているじゃない?」、じゃあ、「つらそうな顔をしている人ってだれなの」っていうと、「世界中の人が、みんな記号じゃなきゃいけないと思って、つらくなっているおんなじ人たちだっていうことが分かるでしょう?」と言う。

 それをハイデガーは「本来的存在」と言う。みんなが「本来的存在」なんだけど、自分の自由も自分の思いも全部封じ込めて、記号のなかに自分を入れて、諦めて、悲しいけど生きているんだよ、と言う。


●今、ここのわたしに全力で「賭けてみる」


五十嵐 だったら、どうすればいいかというと、記号を全部捨てちゃうんじゃないんだけど(だって記号も、ほら、捨てられないでしょ。大学の哲学の先生がいなくなったら困るし、ゴミを収集する人がいなくなったら困る)、そういう仕事をするのをやめるんじゃなくて、「本来的存在」になるというのは、「こうすればほめられる」とか「こうすれば評価される」とか「批判されない」とかいうことを超えて、例えばゴミを収集するお仕事を本当に自分の思うようにやること。大学の先生を本当に自分で思うようにやること。

津崎 それは、その記号が意味しているところを余すところなくみっちり行う、ということ?

五十嵐 というか、記号の中身を抜いて、記号の中身に自分を入れるというか。

 だから、例えば大学で授業をするときには、「授業ってこういうものだよね」という共通理解がある。その共通理解に従うんじゃなくて、「授業って、そもそも何だろう」と考えたら、それは「学生が考えること、学生が学ぶこと」だから、べつに普通に教えなくてもいいわけです。わたしは授業でやっているんだけど、こういうふうに「哲学カフェ」でみんなでおしゃべりすることのなかで、学生(院生)が結果として学べばそれでいい。

 もちろんマイクみたいにすごく美しい授業をする人もいるんだけど、でもわたしはそれができないから。だとしたら、わたしらしい授業をわたしが占領するというか、わたしらしくする。人から「何、あれ?」とか「あれ、ほんとに哲学の授業なの?」と言われても、それは関係ないから、わたしという存在を全面的に怖がることなく出して行う。

 例えば、会社で働いているんだったら、「会社だからしょうがないよ」じゃなくて、自分がガチでこの仕事をやるんだったらどうするんだとか、本当にやってみればいい。また、例えば、「スーパーのレジの仕事をガチでわたしらしくやるとしたらどうすればいいんだろう」というのを、記号としてではなくて、本当にわたしがスーパーのレジをやると「懸けてみる」というか。

 だって、ほら、人間って、今、ここにいるとか、一つのところにしかいられないじゃないの。

津崎 うん。ここにね、時間的にもね。

五十嵐 そうそう。だから、ここで最大限わたしが「マイクという人とわたしという人がガチで会う」ということだけに全力を費やしている。また、家に帰ったら家では…...
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