●行方不明だったオデュッセウスの帰郷と波乱
ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の主役である英雄オデュッセウスは、数々の冒険を経て、ようやく彼の故郷であるイタケ(Ithake)という島に戻っていきます。小さな島で、今でも論争があるようですが、ギリシアの西のはずれのほうにある小さな島がそうではないかと言われます。彼は、そこの領主だったのです。
戦争が始まって20年たって帰って来るというのはどういうことなのだろう。それ自体が面白いテーマですね。彼は行方不明者で、故郷イタケにいる人々からすると、戦争が終わってもうずいぶん経っているのに音沙汰もないため、途中で死んでしまったにちがいないと思われていました。今でも災害による行方不明者はよくありますが、似たような状況だとご想像ください。
当のオデュッセウスはそんなことは知らず、とにかく必死で生き残るということになるわけですが、とりわけイタケの島に着いた途端「ああ、よかった」「10年たって帰ってくるとは」と迎えられるハッピーエンドかと思うと、そこから新しい苦難が始まります。ここからは「変身」や「変転」がテーマになっていきます。
皆さんにもご想像いただけると思うのですが、10年間留守にしていた領主が戻ってくるというのは、政治的にそれほど単純な問題ではありません。多くの人が、「もう彼はいない」という前提でさまざまなことを進めてしまっているわけです。いきなり「俺が」と言って現れると、もしかすると自分を邪魔だと思う人たちによって殺されるかもしれない。そういう状況が、もう現に起こっているわけです。
そこで、智略に優れたオデュッセウスは、着々と地盤を固めて、最後は自分の領主の座を取り戻す、つまり自分の家に復帰するという、通常では考えられないぐらい慎重かつステップを踏んだ物語になっています。
●故郷の人々の中へ「乞食」姿で入っていく領主
帰ってきても、「おーい、帰ってきたぞ」という単純な話ではない。むしろ自分は帰ってきてうれしいにもかかわらず、乞食の格好に身をやつし、よそ者だとして人々の中に入っていく。しかも、相手はみんな昔知っていた仲間たちです。
ちょっとあり得ないのではないかと思う人もいるかもしれませんが、ここはギリシア神話なので、彼のご贔屓のアテナという女神が彼の姿をわざとちょっと見すぼらしくしたり、時には神々しくしたりして、人々はそれに欺かれるという前提になっています。
そうして帰ってくると、何が起こっているのか。彼のもともとの屋敷はどうなっているのか。彼の父親は、まだ生きています。ラエルテスという人で、ただしもうかなり年を取っていて、よぼよぼになっています。奥さんがいます。ペネロペイア(Penelopeia)で、これは有名ですね。この奥さんがカギになる人なのですが、彼女は息子テレマコスとともに、ずっと家を守ってきました。「オデュッセウスはいつか帰ってくる」といってそれまで守り続ける賢母・賢妻の代表格です。
彼女に必ず対照される女性が何人かいます。総大将アガメムノンの妻クリュタイムネストラ。アガメムノンは帰還したら、浮気していた妻に風呂場で殺されてしまいます。そういう妻もいるのです。だからといって責められないかもしれません。
そういう時代に、なんと20年間も夫が帰ってくることを信じて待ち続ける妻。これ自体が奇跡的なことかもしれませんが、そういうペネロペイアという人が、最後はどういうふうに報われるのか。読者としては誰もが関心を寄せるところです。
息子テレマコスは、もう20年近くたって成人近くなったときに、父親を探す旅に出てしまいます。ギリシア本土に渡り、ヘレネやメネラオスといった人たちのところへ行って、自分の父親はどうなったのかと訊ねます。そして、また戻ってくるのです。
●領主の地位を狙って屋敷に住み込む求婚者たち
そういうことをしている間に、イタケの町では、地方の有力者たちがオデュッセウスの地位を乗っ取ろうとします。どうやって乗っ取るかというと、死亡が確定されていればともかく、もしかしたら帰ってくるかもしれない状況だから簡単ではない。そこで、彼らはペネロペイアと結婚するという戦略を用いるのです。
求婚者といわれる人たちの思惑は、ペネロペイアはもう多分未亡人になっているだろうから、結婚とともに財産や土地、権力が全て手に入るということで、それでなくても魅力的な彼女に言い寄るわけです。そういう若者たちがいっぱいいるのですが、困ったことに彼らは求婚者という資格で、オデュッセウスの屋敷に勝手に住み込みます。そして、オデュッセウスの財産を食いつぶしていくのです。毎日宴会を開いては、彼の豚や羊などを食べていきます。
断れない...