●20年ぶりに再会した夫婦がすぐに抱擁しない理由
このようにして、最後にペネロペイアとの再会の場面が訪れます。求婚者の殺し方についてはご自分で、読んでみてください。一挙に全員を殺してしまう血なまぐさい場面があった後で、勝ち誇ったオデュッセウスが、ペネロペイアにいよいよ対面するという場面です。
これは第23巻になりますが、乞食姿だった彼は、女神の力を借りて輝くばかりに身を整えて、ペネロペイアの前に現れるのです。その前にも二人は会っていますが、乞食として会っているだけで、身を明かしてはいません。
ペネロペイアが、求婚者の殺戮が終わって身綺麗にしたオデュッセウスと会う場面で、二人は感動的にパッと抱き合うのかというと、そうではないのです。あれほど待ち続けたペネロペイアは、オデュッセウスに対して、何か無下な、引いたような態度を取るのです。すぐに感動して寄ってくるわけでもない。それに対してオデュッセウスは少し不審に思うのですね。
“「おかしな女じゃな。オリュンポスに住まい給う神々は、女子の中でもそなたには特別に、非情な心を授けられたのであろう。散々に苦労を重ねた末、二十年目に漸く故国に帰って来た夫を迎えて頑なに離れているような女は、そなたを措いてほかにはおるまい。さあ婆やよ、わしはひとりでもよい。寝(やす)むから床を展(の)べてくれ。この女の胸中にある心は、鉄で出来ているらしいのでな。」”
※『オデュッセイア』(松平千秋訳、岩波文庫):第二十三歌より
これは、ちょっと怒っている感じです。自分が帰って来て奥さんと会って、目の前にいるのに全然感動していない。「なんだよ、俺はひとりで寝るぞ」とアピールしているのですね。
●「二人しか知らない秘密」によって夫婦の縁を取り戻す
すると、ペネロペイアがこう返事をします。
“「あなたこそ、おかしな方ではありませんか。わたしは別に高ぶっているのでも、あなたを軽んじているのでもありません。また、驚きの余り度を失っているのでもありません。わたしはあなたが長き櫂の船で、イタケを出てゆかれた時、どのようなお姿であったかは、よく覚えております。さあエウリュクレイアよ、あの方が御自分の手でお造りになった見事な寝室の外に、頑丈な寝台を用意しておあげ。そこへ頑丈な寝台を運び出し、羊の皮に毛布、綺麗な敷布などの寝具を揃えてあげなさい。」”
※エウリュクレイアは乳母のこと
※『オデュッセイア』(松平千秋訳、岩波文庫):第二十三歌より
この夫にしてこの妻ありというところですが、それを聞いてオデュッセウスは、「ん? 何かおかしい」と思うのです。今、彼女は寝台(ベッド)を部屋から運び出せと言いましたが、オデュッセウスは「われわれの二人しか知らない秘密がある。わたしたちの寝台は部屋から運び出せない」と言う。なぜかというと、それは生きたままのオリーヴの木を切ってつくった寝台だからなのです。そこで初めてペネロペイアは、「あなた」と言うのです。
これはどういうことかというと、今までさんざん神様や人にだまされてきて、「オデュッセウスだ」と言われても、20年たっていて、それは似ているかもしれないけれど、だまされるのかもしれない。そういう状況のなかで、ペネロペイアは謎をかけたわけです。
オデュッセウスのほうがここは素直で、「なんだよ、うちの奥さんは」という感じなのですが、ペネロペイアはそうやって本当のオデュッセウスかどうかを確かめる。二人しか知らない寝所(ベッドルーム)の秘密です。その秘密について嘘を言って、気づくかどうか試している。「そんなはずはないだろ。あれは動かせないだろう」という彼を見て、「これは本当のオデュッセウスだ」と気づくのが、再会の場面です。
なんとも屈折しているのですが、これだけ人生の苦難を経た二人というのは、素直にパッと喜ぶのではない。しかも、これが終わりでもないのです。
●「人間が生きるとは」「信頼とは」の答えがないまま迎える結末
オデュッセウスは、自分を裏切ったという理由ではありますが、多くの若者たちを殺してしまいました。そうすると、その親族たちがまた復讐に訪れます。そこで戦争が始まるかもしれない。これはエンドレスな戦いになるはずなのですが、ここで女神アテナが降りてきて、「双方和解しなさい」と言ってハッピーエンドになる。それが『オデュッセイア』24巻の最後です。
何か、やや取って付けたような、ちょっと出来すぎの最後です。だけど、そこで良かったかな、と私は思います。つまり、帰国した後、さらに血みどろの戦いを繰り広げるのもあり得なくはないけれども、オデュッセウスはこの後どうなったのでしょう。まさか平和に、この後一生をここで送ったとは思えないのですけれども、この物語はここで閉じられ...