●盲目の詩人ホメロスとその作品
ホメロスの作品を、背景から少しずつご紹介していますが、ホメロスという人、そしてその作品はどう成立したかについて、もう一歩ご説明したいと思います。
ホメロスという名前の詩人は、本当にいたのだろうか。おそらくいたのではないかと私は思いますが、盲目の詩人というふうに言われています。
「盲目」というのはどういう意味かということも、ここで考えていきたいのですが、これは「文字で書いて、読む」という文化ではない、その前の文化だったことを思い出してください。「口で話し、耳で聞く」という「口誦」の文化と言われている時代の作品です。
『イリアス』という最初の大作は全24巻で、15,693行。『オデュッセイア』もやはり24巻からなり、12,110行で、どちらもものすごい大作です。この「巻」というのは、もしかしたら後の時代に分けられたものかもしれません。一つひとつの話が独立している場合もありますので、ある程度は古代から分けられたかと思います。便宜上「第何巻」または「第何歌」と呼んでいます。
●「ホメロス問題」とは何か
ホメロスが実際にこれだけ膨大な作品を書いたのか。ちょっと考えると、疑問に思われるかもしれません。18世紀末から活躍したドイツの文献学者、フリードリッヒ・アウグスト・ヴォルフという人が提起して有名になった「ホメロス問題」というものがあります。
この人は、「果たしてこれだけすごい大作が一人の詩人によって、しかも目の不自由な個人によって、全部書かれたということがあるのだろうか」という問題を提起し、場合によっては複数のさまざまな人たちがつくったものが合成されてできたのではないか、という論争を引き起こしました。
その一つの証拠は、『イリアス』と『オデュッセイア』のどちらにも、いろいろな方言が混じっていることです。主にはイオニア方言ですが、もっと古い言葉とかいろいろな言葉が混じっています。そういうことを分析しながら、ホメロスの大きな詩二つを複数の詩人が書いたのではないかということを検証して、現在まで論争は続いています。
現在では、どちらかというと統合的な見方が多いというか、あまり分割していろいろな詩人によって書かれたというよりも、ホメロスという名前で呼ばれる詩人が少なくとも二人いたとされています。二人というのは、やはり『イリアス』と『オデュッセイア』は別の詩人が書いたのではないかと考える人も多いからです。そういうことで、両方を一人が書いたか、あるいは二人の人が書いたかと考える傾向が強いですが、現在でも続いている論争です。
●「詩を歌う」ための古代の人々の仕掛け
どうしてそういう問題が生じるかというと、一人の人が「書き残す」こともなく、15,000行や12,000行の詩をつくってしまい、朗誦することはほぼ不可能だと感じるのが近現代の見方だからです。しかも、後で見るように、非常にいろいろなところに細工が凝らされています。
これについては、古典文献学のなかでやはりさまざまな議論があり、「六脚韻に秘密があるのではないか」といわれています。初回にギリシア語で読みましたが、「メーニン・アエイデ・テアー」のような韻律というのは型が決まっているので、同じフレーズもよく出てきます。
ここにはこのフレーズというように、ある種の型が決まっているので、記憶する場合には実はやりやすい。同じような詩行がところどころ出てきていることも、お気づきになると思います。あの韻律自体が詩をつくり、かつ詩を覚え、伝えるときに役に立っているのではないかという解釈があります。
ギリシアに限らず、例えばアイヌの「ユーカラ」もそうですが、ヨーロッパやアジアのさまざまな叙事詩では、リズムに乗せて語ることで、かなり長い作品をみんなが暗記していました。ですから、ホメロスのこういう長大な作品も、つくった本人は当然ですが、その後の詩人たち(ホメリダイ)が丸暗記をして、人々の前で必要な箇所を歌うということを行っていた。現代のわれわれから見ると、とても考えられないような記憶力だと思いますが、「詩を歌う」というところから発していると考えられます。
●叙事詩の背景
以上がホメロスという人をめぐる問題でした。この二つの詩だけが突出してこの時代から残っているとお思いかもしれませんが、この時代にはもっとたくさん作品があったことが分かっています。
ホメロスという名前の詩人がつくったとされる作品も、もう少し多くあって、『ホメロス讃歌』といわれるいくつかの詩があります。これはホメロスが書いたのではないのではないかとも思われますが、一応ホメロスの名前で伝わっている神々に対する讃歌が残っていて、翻訳もあります。
ほぼ同時代にヘシオドスというライバルの...