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沖縄米軍基地移設「最低でも県外」とは何だったのか?

沖縄問題を考える(3)名護市長との議論と鳩山首相の発言

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授
情報・テキスト
仲井眞沖縄県知事と会談する鳩山総理
出典:首相官邸ホームページ(http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/actions/201005/23okinawa.html)より
基地移転の問題について、名護市長と島田晴雄氏はどのような議論を交わしたのか。また民主党政権時代、鳩山首相の発言によって沖縄県民がどれほど怒りを覚えたのか。当時の様子を振り返りながら詳しく状況を語る。(全6話中3話目)
時間:12:48
収録日:2013/12/25
追加日:2014/02/24
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≪全文≫

●語らない名護市長、悩む中央政府


 それはどういうことかと言うと、岸本さんという市長さんで、市の重役をしていた人が、旗色鮮明にせず穏やかないい性格の方だということで、市民は信頼して市長にした。

 ところが、中央政府は、この人が基地を受け入れる気があるのかないのか分からないものですから、非常に悩んだのです。

 沖縄でサミットが開かれるということが確定したときに、テレビに彼が出てきてカチューシャを踊るわけです。喜んで、喜んで、「沖縄はみんなで各国の首脳を迎えるのだ」と。ところが、いざ基地のことになると、むっと口をつぐんでしまうのです。そのため分からない。一度中央官庁の役人が、少し政治的なことを聞こうということで市役所に入ったのですが、そのことがその地域の市会議員、国会議員の耳に入りまして、ものすごく怒鳴られて、それ以降立ち入り禁止になったのです。安達さんという内閣府の担当官で、実は島田懇の面倒を見ていてくれた人ですけれども、もう入れなくなってしまいました。

 事態が分からないから時間だけ過ぎていく。アメリカ側はいらだっていますし、中央政府はなんとか決着をつけたいと思っていました。


●名護市長との議論と基地受け入れへの本音


 そうしたら、誰かが「島田委員長は名護市の施設を見ていますか」と言いました。実は島田懇談会というのは千億円の予算がついて、50いくつの施設を沖縄の中に作るということになったものですから、私もレポートを出してから何度も何度も沖縄へ行って見ているのですが、名護市で新しく作った施設をいくつか見ていない。それを見に行きませんかという話になって、行きましょうということになりました。

 そして、島田委員長という何も知らない学者が行くのだから、かばん持ちが1人必要だということで、それで安達さんがかばんを持ってくれるというので行ったら、さすがに市長も会ってくれるわけです。学者先生だし委員長だし、何億円もの施設を作るもとになっていますから。

 本当に小さい小料理屋とも言えない、タコの刺身を泡盛で飲むようなところで、市長が小さな机のところに座っていました。「島田先生、よくいらっしゃいましたね」と、仕官で担当官の安達さんはここへ座って、彼はかばん持ちですから黙っている。それで私は「普天間基地というのは大きな基地ですね」と言いました。あそこは何十億円という地料があがってくる。つまり地主がいて、民間と公共団体が地主になっていますから、そこにあれだけの広い滑走路と基地を提供するからには、地主に地代を払う。それは1年間に何十億円かになるのです。この何十億円かの地料があがってきて、結局それはいろいろな形で市に財政収入としておりるわけです。しかし、基地がなくなってしまうと地料があがってきませんから、何十億円かの法人税が市におりてくるようにするために、私は「あそこにイオンとトヨタの工場をびっしり作って、すべて全盛期のような活動ができて、そして税収が上がれば、今の基地収入と同じぐらいのものが市にきますよね」という話をしました。「空っぽになってしまったら、財政支援を相当しないとまずいですよね」と、名護市の岸本市長に言ったのです。

 すると岸本さんが、泡盛を飲みながらとっさに、「基地がなくなるところもそうでしょうけれど、受け入れる方だって財政収入は必要なのです」と、ちらっと言ったのです。

 それで、私は安達さんに少し目配せをしてから「ちょっと失礼します」と席をはずして、夜中の11時頃でしたけれど出かけていって、古川貞二郎という名官房副長官と言われる方が官邸におられたのですが、そこへ電話を入れて、「岸本さんが今それを言いました。彼は受け入れる気です」と伝えて、何食わぬ顔をしてから戻ってきました。それからまた、「それでは、岸本さんの腹心の人は誰ですか」「私はこう動きます」と、話が大変盛り上がりまして、夜中まで議論してお別れしたのです。翌朝、朝一番の飛行機で彼はすっ飛んで帰って、小渕総理に「岸本は動きます」と報告をしました。

 そのあと、古川長官のところに1日、2日遅れて私が報告に行ったときに、古川長官は歴史の好きな人ですから、「島田先生が行ってくださってよかった。あれはちょうど白虎隊がお城にこもって、煙があがったら殿様が生きているか死んでいるかという、あれを見る思いでしたよ」と言って少し動いたのです。それで動いたけれども、また止まる、また止まるということで、とうとう17年かかってしまった。


●沖縄問題を停滞させた鳩山首相の問題発言


 ただ、17年かかったうちの最後の4年間は、かかるはずがないことをやってくれた人がいる。それは、鳩山由紀夫先生です。あの人は、ご本人は気がついていないと思いますが、いや、気がついていたらあんなバカな発言は...
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