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「パクスアメリカーナ」が日本に与えた影響とは

「積極的平和主義」とは何か(4)日米安保条約とパクスアメリカーナ

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
「新・日米安保条約」調印書
出典:外務省ホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sengo_04.html)より
パクスアメリカーナと呼ばれるアメリカの戦後体制は日本にどんな影響を与えたのか。日本安保条約と日本の経済成長の動向を追いながら、パクスアメリカーナの崩壊後の世界情勢にも注目する。(島田塾第115回勉強会 島田晴雄氏講演「安保意識と経済活力を考える~イスラエルとブラジルから学ぶもの~」より:全5話中第4話目)
時間:10:05
収録日:2014/07/08
追加日:2014/10/09
カテゴリー:
≪全文≫

●日米安保条約を対等な条約にするために岸総理は動いた


 1951年にサンフランシスコ講和会議があって、日本は国際社会に復帰を認められたのですが、国連憲章の中には依然として敵国条項が入っているということは、先ほど申し上げました。そして、日米安保条約が1951年に結ばれます。

 この1951年の安保条約というのは、ものすごい不平等条約で、こうなっています。日本はアメリカに基地を提供しているため、アメリカ軍はそこにいるのですが、「アメリカ軍はいつでも日本の騒乱の鎮圧のために出動することができる」と書いてあるのです。これは、対等な国の安全保障条約ではありません。完全に植民地を支配する条約です。このことに気が付いたのが、岸信介さんです。 そこで、岸さんは、「これは何とか変えなければいけない」と考えたわけです。

 岸さんの前の首相は、鳩山一郎さんです。鳩山さんは由紀夫さんのおじいさんで、由紀夫さんが尊敬していたと思いますが、あの人は、「等距離外交」ということを言ったのです。アメリカが日本を支配している状況下で、いち早くモスクワを訪ねて、「等距離でやりましょう」と話をしました。これにアメリカ政府は仰天しました。冷戦体制の真っ只中だったので、よほど世界観のない人だということです。その孫も世界観は全くありませんけれども、とんでもないことをやってくれたわけです。

 アメリカは、日本がそういうことならと言って、締めつけてやろうかということになったのです。これをやられたら日本は駄目になってしまいますので、岸さんは、総理大臣になって最初に東南アジアを訪ね、「賠償を1日でも早くやりますから」と言ってお願いをしました。

 それから、日本軍はオーストラリア人やニュージーランド人に相当ひどいことをしましたので、そこへ出かけていき、心からの謝罪をして、「戦後はこうやって頑張ります」と言ったのです。ニュージーランドの国会というのは1院制で、ビーハイブと言われています。記録に残っていますが、「ノブスケ・キシの演説は素晴らしい」とスタンディングオベーションだったそうです。憎しみの国だったのですが、ほめられたのです。

 そういう成果を全部持って、彼はアイゼンハワー大統領のところへ交渉に行きました。1951年の不平等条約を何とか対等な国の条約に近づけてくれと言って、1960年の安保改定へ持ち込むのですが、日本では理解されません。「これは何だ」「けしからん」ということで、学生や労働組合による大反乱が起きました。そのとき、 樺美智子さんという人が群衆の中で亡くなるのですが、「なぜ岸がいけないのだ」「あのデモがいけない」という議論でした。日本の国民というのは、この辺から少し考えがおかしいのです。安全保障条約の意味を理解していません。岸さんは本当に救ってくれた人です。そのお孫さんが安倍晋三さんですから、なかなか考えがあるのだと思います。

 そして、安保条約は1970年に改定されました。それから、適時部分修正が起きて、現状に合わせるようになっています。


●アメリカの戦後体制は、日本を経済発展のショーウィンドウにすることだった


 戦後体制というのは、アメリカが日本の平和を守ってくれたので、経済発展ができたのです。その中で、実はフィリピンというのは、「アメリカのデモクラシーのショーウィンドウだ」と言われていたのです。

 ところが、火山が爆発して、アメリカ基地が砂だらけになったことがあるのです。フィリピン人の中で、アメリカから借入れを取るといった大議論になってきて、アメリカは嫌気がさして、スービック基地というものがあったのですが、全部撤退してしまいました。ですから、アメリカのソ連封じ込め体制の最大の基地は、実は日本列島であり、沖縄だったのです。ですから、集中的に沖縄に基地が強化されたので、とても大変なのです。

 朝鮮戦争が起きたときに、アメリカはもちろん自分の国の兵隊さんが死ぬのは嫌ですから、同盟している日本に急きょ軍隊をつくって、朝鮮半島に行って防波堤になってくれという話になり、アメリカ兵が死ぬ前に日本兵が死んでくれたらいいではないかという議論をやったのです。

 これには、吉田茂さんが身を呈して闘いました。なぜかというと、平和憲法という超理想的で空想のような憲法を、国民は夢と抱いて、平和国家として生まれ変わろうとしている。そんなときに、また再軍備ということになったら、どうなるか。日本の治下にはソ連の手がたくさんまわっていて、徳田球一などという人たちがペニシリンを売って儲けて、いつでも日本を転覆させることができるような状況になっているわけでしょう。「その人たちに火がついたら日米安保体制は保てませんよ」と、アメリカにブラフをかけたのです。アメリカも仕方がな...
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