●リカードの労働価値説への態度は一貫していない
それでは、三回目の講義を始めます。前回お話しした労働価値説について、もう少し詳しくお話ししようと思います。
経済学では、ものの売買を基本的に扱いますが、その売買のための場所を「市場(マーケット)」と呼びます。マーケットではものの値段が決まっています。もう少し高ければ、あるいは安ければ良いと思っても、思い通りにはコントロールできません。市場には客観的な法則性があり、それに基づいてものの値段が決まっていくのです。このものの値段を決定する法則が「価値論」です。
価値論には二つの考え方があります。一つは需要と供給の量に基づいて価格が決定されるという需要供給論です。これはその通りなのですが、需要と供給が何によって決定されるのか分析する必要があります。そのため、需要と供給についての理論が必要となるのです。需要と供給が価格を決定するという理論は多くの人が思いついていたのですが、需要や供給そのものについての議論は構築するのが難しく、マルクスの時代にはまだ生まれていませんでした。
リカードはそのような側面も認識していましたが、需要供給論とは異なる労働価値説を考えつきました。ものの値段は常に変動しています。その根本にある法則として、生産要素のうちの労働力が全ての価値を決定していると打ち出した仮説です。この点は、アダム・スミスも直観的に認識していましたが、リカードはより明確に主張しました。
資本は価格の変動に寄与していないのでしょうか。よく考えてみると、機械にせよ工場にせよ、資本は生産された財です。ですので、資本には価値がありますが、資本に体現されている価値は、もともと労働者がそれをつくり出すときに生み出した価値なので、結局労働力に還元することができるのです。したがって、過去の労働(の現れである資本)と現在の労働が組み合わさって、新しい商品をつくり出すのです。過去の労働は保存されていて、新たな商品に移っていかなければなりません。「労働の転形問題」と呼ばれます。
土地については経済の中では生まれないので、もう少し説明が難しくなります。リカードは土地について差額地代説を出しました。簡単に説明すると、土地には一等地、二等地などの等級があります。良い土地では、同じ量の労働でも比較的多くの小麦が生えます。二等地では、より手間をかけなければなりません。三等地ではうんと手間をかけてもなかなか小麦がとれません。仮に収穫された小麦の量が同じであれば、販売価格も同じですが、一等地の人が得していることには疑いがありません。そのような土地は限られています。一等地を貸してくれた人に払う地代が、差額地代です。
このように、地代論としては比較的優れていたのですが、よく考えてみるとそれぞれの土地に労働を同じ量、投入したとしても、産出が異なります。このような状況を「生産関数が違う」と呼びますが、異なる生産関数によって説明してしまうと、労働力だけで価値が決定されるとはいえなくなってしまいます。その意味で、リカードは首尾一貫していませんでした。リカードにはそのような側面があり、さまざまな問題に直面するにあたって、ある問題では労働価値説に立脚し、他の問題では労働価値説に立脚しないというスタイルで論文を書いていました。
●マルクスが着目した「搾取」の概念
マルクスはこの点に気がついていました。労働者を解放するためには、労働価値説で一貫しなければなりません。そのために、マルクスは地代論を無視しました。『資本論』の中に地代を扱う部分がないのは、そうした理由によるものです。また、リカードの国際貿易論も、国ごとに生産関数が違うという議論なのですが、この議論を採用すると理論が煩雑になるので、『資本論』は国際貿易も扱っていません。非常に単純化した一国経済モデルによって議論を一貫させたのが『資本論』なのです。
『資本論』についてもう少し付け加えると、資本家がいて、労働者がいて、集まって労働を行う際に、労働力という非常に特別な商品があるという議論が、『資本論』の肝です。労働力を雇い入れる際に、労働者が生きていけるだけの賃金を払います。これを「労働力の再生産のコスト」と呼びます。再生産とは、次の日も工場にやってきて労働に従事することができるようにすることです。そのためには、食費や医療費や住居費など、さまざまなものをひっくるめた賃金を支払う必要があります、労働者の労働の使用価値は、工場でどれだけ働くかという点によって決まりますが、支払われた賃金よりも常に多く働いているのです。
労働者が生み出す価値は、労働の本当の価値です。労働者が働いて生み出した本当の価値と賃金の差異を、「剰余価値」と呼びます。剰余価値の分は...