●グローバル化が進展する中で新たな視点が必要
―― 橋爪先生、ありがとうございました。非常に分かりやすい講義で、マルクス主義が何を説いたか、それに対して近代経済学がどのように応答したか、現状がどのように変化しつつあるかなどの点に対して理解が深まりました。いくつか質問させていただいてよろしいでしょうか。
橋爪 どうぞ。
―― 講義の最後で、現在の状況はマルクス主義が予言した状況と似てはいるが、異なるものだというご指摘がありました。その異なる部分とは、その前にご指摘された近代経済学の分析にいえば、どのような部分なのでしょうか。
橋爪 マルクスは全ての状況を考慮したわけではなく、単純なモデルをつくって説明するということに力点を置きました。したがって一国モデルなのです。
それに対して、グローバリズムは多国モデルではないですか。資源の分布にばらつきがあり、資本や技術の蓄積にばらつきがあり、労働者の教育や生活水準にばらつきがあります。すると、技術や資本を移転することで、発展途上国や新興工業国でも、先進国と同じ品質のものを生産することが可能です。このような条件下では、安い賃金で労働者を雇用できる場所に、資本が移動していきます。これが、中国が世界の工場たる所以なのです。
その結果、先進国で賃金が下がり、途上国の賃金が上がります。そのため、途上国に中産階級が現れるのです。このような状況は、『資本論』では言及されていませんが、近代経済学ではグローバルモデルで考えれば、当然の状況です。それが良いことか悪いことかについて考えてみると、先進国の生活水準が今までのように順調に上がっていくわけではないというのは困った点ですが、人類総体としてみると、資本、富、就業チャンスなどの適正な再配分に向かって進んでいるので、いわば必要なコストとも考えられるのです。
―― はい。
橋爪 ただ、経済は一体化していますが、政府はバラバラです。先進国の政府の中には、怒った労働者に対して一国中心主義などを打ち出して、支持を受けてリーダーになる者も現れます。一方、途上国では、中産階級が増えるので、誰もが満足するようになるのはいいのですが、先進国にいじめられることがあります。すると、怒れるナショナリズムが高揚し、国際秩序を批判する、領土意識を高めるなどの反応が現れます。場合によっては、軍事衝突なども起こりかねません。このように、簡単に善悪を評価できる問題ではありません。
この全体の動きを考える視点と枠組みがなければなりません。政治学では、国内の分析に終始しており、生活が厳しくなった中産階級への対応を政府に求める政治家が野党だけでなく与党の中からも多く出てくるでしょう。しかし、この視点は全体を見ていません。全体を見るのは、経済学や社会思想という学問分野です。しかし、その方面の発展は弱いと感じています。
●金融資本の比率が大きくなった現代でも労働の価値は健在
―― もう一つお尋ねしたいのですが、マルクス主義のベースにあるとされた「労働価値説」についてご説明いただき、それが成立する条件は極めて限られているという指摘がありました。現代において労働価値説をどのように捉えるかということですが、実体経済に比べて金融経済の比率が非常に大きくなり、世界経済に大きな影響を与えるようになってきています。このような世界の状況において、マルクスが唱えた労働価値説が持つ意味について、先生はどのようにお考えでしょうか。
橋爪 労働に価値があるのは、当然です。アダム・スミスもリカードも、当然マルクスも、その点については肯定しています。労働は生産要素なので、重要なものであり、価値があり、価格がつき、労働力の対価が支払われて、それによって労働者は生活するのです。これが基本です。地代や利子は支払われなくともなんとかなりますが、労働力の対価が支払われなければ、人間が干上がってしまいます。これは他の商品に比べて、極めて重要です。労働価値説が成り立たなかったとしても、労働に価値があり、対価が付けられ、労働者の生活が維持されなければならないのは当然のことで、それを動かすことはできません。
●金融資本から価値は生まれるのか
橋爪 次に、金融資本に関してですが、金融とは資本を運用するものであり、出資者と資本を用いて生産活動を行う生産現場の間が乖離しています。その間に「投資」という段階を置くという流れです。ここでは情報が非常に重要です。例えば、こちらに投資した場合、リターンの年率は6.4パーセントですが、あちらに投資した場合、年率は6.6パーセント、などという僅かな違いでも、この情報が大きな流れを生み出します。すると、前者に投資した人は損をして、後者に投資していた人は得をすることになります。この情報...