●中産階級の減少と格差社会の到来
中産階級の出現は、『資本論』に書いてある通りの歴史発展は起こらなかったことを意味します。対して、最近の状況に目を向けると、中産階級が消えていっています。これまでの中産階級は、郊外で住宅を持って、それらしく資本家と共存していました。1950年代のアメリカでは、ブルーカラーの人々が郊外に一戸建てを持ち、それなりに余裕のある生活を送って、子どもを大学まで卒業させることができました。
現在はまったく異なる状況となっています。中産階級は非常に厳しく、非正規雇用が増大しています。日本でもアメリカから20年程度遅れて、小泉改革以降そのような状況が生まれて、格差社会が出現しています。
格差社会では、一握りの企業の役員や管理職の人々がそれなりの生活を送る一方で、大多数の人々がマルクスの描いた賃金労働者のようなその日暮らしとなって、貯蓄もできない状況となります。後者のような人の数が膨大になっており、大きな貧困層が形成されるという状況が、先進国で見られるようになってきています。これは、マルクスの予言が当たっているといえるのでしょうか。マルクスの見直しが求められるのは、このような状況にあるためです。
●近代経済学による中産階級の減少の説明
近代経済学の理解では、地主、地代、資本家、配当、利子なども存在します。労働者も賃金を受け取ります。マルクス主義では、地代や配当は存在すべきではありませんが、近代経済学はこれらの存在を認めています。それでは、地代や配当、労働者の賃金はどのように決まるかというと、生産についての限界的な寄与、すなわち労働力の一単位の増加によって伸びた生産、つまり付加価値を労働者に対価として与えるという考えなのです。中産階級の賃金が減少しているという現象があるのですが、近代経済学はこの現象を二つの理由で説明します。
一つは経済がボーダーレスになったことで、資本設備と技術がこれまで産業がなかった中国やヴェトナムなどに発展途上国、新興工業国に移動していったことです。これにより、産業の空洞化が起こります。そもそもアメリカでは生産活動を行わないため、アメリカに住んでいる限り労働者の寄与はほとんどなくなってしまいます。そのために賃金が下がっていってしまうのです。
もう一つの理由は、ホワイトカラーによる生産活動の分解です。労働者の他に「ホワイトカラー」と呼ばれる人々がいます。彼らは管理部門の仕事についていますが、これは不可欠の仕事だといわれました。そうした教育を受けた人々の数は相対的に少ないので、寄与が大きく、それなりの報酬を受けていました。しかし、管理はコンピュータやAIによって置換可能であることが徐々に明らかとなってきて、実際に置換されるようになってきました。置換されるとそのような労働は必要とされなくなるので、賃金が下がります。
この二つの理由によって、中産階級は存在しにくくなっているのです。どちらも、技術革新とグローバル化の影響を受けています。
●現実分析の手がかりとしてマルクスを読み直す
技術革新とグローバル化の影響は、『資本論』では一切議論されていません。しかし、『資本論』を下敷きに近代経済学の議論をすると、このような分析が可能です。マルクスが考えていたような労働者の立場は、現代では非常に普遍的なものとなりつつあるともいえるのです。
しかし、このような状況下で、労働者が皆、マルクス主義者となり、共産党に結集するかというと、それはまた別の話です。マルクス主義や『資本論』の予言と似たような状況が現れつつあることは事実ですが、それでも異なる状況であるという認識が重要です。類似点を認識しつつも、相違点にも着目することが重要です。相違点に着目することが、これからの社会を占う上で、人々がどのように考えて前進していくかを理解し予測する上で、非常に重要です。
したがって、マルクス主義が正しいから学ぶという態度ではなく、マルクス主義は現実を分析するための大きな参考となる、だから学ぶんだという態度が肝要です。このような態度で、およそ150年前にマルクスが必死の思いで遺した知的遺産を、今読み返してみることが良いのではないでしょうか。これが締めくくりのお話でした。ありがとうございました。