●「この身のままで速やかに仏に」なることを求めた空海
―― では、空海の残した文章のほうにまいりたいと思います。まず『即身成仏義』ですが、これはどういうものですか?
賴住 はい。「即身成仏」というのは、空海が非常に重視していた事柄で、「この身のままで速やかに仏になる」という考え方です。
一般的に、仏教では、何度も何度も輪廻転生して、生まれ変わり続けながらずっと修行し続けて、非常に長い期間がたってようやく成仏できるというのが基本です。これを「三劫成仏」といいますが、三劫の「劫」は時間の単位です。100年に1度天女が天から下りてきて、非常に大きな岩をすっと袖でなでる。そうすると、ほんの少しだけ岩が擦り減る。それをずっと続けていって、最後に岩がなくなったら「一劫」になるといわれます。
―― それは膨大な時間ですね。
賴住 膨大な時間です。それを3回繰り返すということで、本当に長い期間を生まれ変わり死に変わり修行し続けないと成仏できないぐらい、成仏というのは難しいのだということです。しかし、空海をはじめとする密教思想の中では「即身成仏」ということで、まさに生まれたままのこの身で修行して成仏できるという考え方を強く打ち出していきました。
―― 日本で「即身成仏」というと、例えば土の中にこもって、ずっとお経を唱えながら亡くなっていったり、あるいは「補陀落渡海」のように、和歌山の海から漕ぎ出していくようなものも有名ですが、それらとも結びつく考えですか。
賴住 そうですね、そのようにも展開していくと思いますが、空海が言っていたのは、むしろ、もう少し哲学的な部分が多いのではないかと思われます。
―― 哲学的な部分ですか。分かりました。
●達成すべき「理想の悟りの境地」を表現
―― では、実際に読んでみたいと思います。
「六大無礙(ろくだいむげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり。四種曼荼(ししゅまんだ)各(おのおの)離れず。三密加持すれば速疾(そくしつ)に顕わる。重重帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく。」
これは非常に難しい文章でございますね。
賴住 そうですね。これはもう空海が、自分の「即身成仏」ということに託している思想的な意味を端的に全面展開している文章で、本当に難しい文章です。
「六大」というのは「地・水・火・風・空・識」で、要するにあらゆるものを構成する要素をいいます。「無礙」というのは「お互い妨げない」ということで、構成要素が「まどか(円満)」に結び付き合い、「常に瑜伽」になる。「瑜伽」は「三昧」の境地ですから、理想的な悟りの境地にある世界をまず最初に打ち出しているのだと思います。
●身口意による「三密」修行で即身成仏に近づく
賴住 次の「四種曼荼」については、「曼荼=曼荼羅」と理解していいと思いますが、曼荼羅には真理というものが多様な形であらわれます。絵の形やいろいろな形であらわれるのですが、そのような真理のあらわれが「各離れず」なので、悟りの世界からそれぞれ離れないことを言います。
次に「三密加持」の「三密」です。「身口意(しんくい)」という言葉がありますが、三は身と口と意志(心)です。身では仏の姿をあらわし、口でマントラ(真言)を唱えます。
―― マントラ(真言)というのは、いわゆる呪文のようなものですね。
頼住 そうですね。マントラを唱えつつ、心の中に仏(大日如来)の姿を思い浮かべていく。そういう「三密」の修行をすることで、真理の世界が速疾=速やかに顕われてくるのだということです。
要するに、私たちは真理の世界の中にいて、その世界と通じ合うために、この「三密」の修行をしていくということなのです。そうすると、即身成仏というものが成り立っていく。私たちはすでに真理の世界にいるから、修行によってそのことを自覚し、確認していくことによって、私たちは仏になれる。仏であることを自覚できるということではないかと思います。
●「関係性の中での成仏」と最澄思想との共通性
賴住 その次の「重重帝網」という言葉は、非常に重要かと思います。「重重帝網」というのは何かというと、まず「帝網」は帝釈天の網ということです。帝釈天はインドラというインドの神さまで、仏教の守護神です。この帝釈天という神さまはとても立派な宮殿を持っていて、そこに綺麗な網が飾りに付けられている。網の結び目の一つ一つに玉が嵌め込まれていて、その玉同士がお互いにお互いを映し合っているといわれています。
"Indra's net"といいますが、要するにある一つのものは他の全てを映していて、あらゆるものがあらゆるものと結び合っているという世界なのです。このような世界観が仏教の基本的な世界観で、よく...