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人間の命を「数量」で考えて経済や国の活力を論じるバカ

脱人間論(9)ちょっとした幸福が欲しくて破滅を招く

概要・テキスト
自分の人生を体当たりで生きていれば、死ぬときもジタバタしない。死を宣告されて慌てるのは、何も考えない人生を送った人である。人口についての考え方も、日本ではおかしくなっている。子どもの数が減って「国の活力がなくなる」と憂いているが、活力で大事なのは日本人の魂である。魂が賦活すれば人口が4000万人になっても、どうということはない。逆を行っているのがヨーロッパで、自分たちが楽をするため、移民を大勢受け入れた結果、フランスの南部では公立学校でフランス語を教えられなくなっているほどだ。だが、こんなことを言えば、今の世の中では抹殺される。人間的であるには人間をやめて「超人間」になるしかない。そうすれば自由に発言でき、それを後世に伝えることもできる。(全11話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:11:05
収録日:2021/03/18
追加日:2021/06/18
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≪全文≫

●魂が賦活すれば、人口が減ろうが問題ない


執行 私の祖母もそうですが、ある程度ちゃんとした人はみんな、「自分がどう生き、どう死ぬか」がわかっているのです。そして自分の人生に正直だから、医者が「あと何カ月」と言えば受け入れる。友だちを呼んで、喧嘩していた人とは仲直りして、死んでいきました。医者に死を宣告されて慌てる人なんて、ほとんどいませんでした。

そこで慌てる人がいるとしたら、また、ここも私は言いたくはないのですが、それは「まったくくだらない人生を送った、下衆野郎」なのです。これはもう決まっています。

 死にあたってジタバタするのは、例えば親との関係だと、とんでもない親不孝を繰り返してきた人です。だからまだ未練がある、世の中に。ちゃんと親にやるべきことをやり、子どもにもやるべきことをやり、自分もなんとか社会的にやってきた人は、ある程度、受け入れるのは当たり前です。これはなんでもないことで、だからちゃんとしてきたかどうかの証なのです。

―― 最期が。

執行 (画家の)戸嶋(靖昌)もそうです。戸嶋は自分が食えないけれど、芸術にすべてを捧げて生きてきたところ、69歳でがんを宣告されて、あと何カ月しかないと言われた。自分はもう死ぬとわかったら、最期の日まで芸術に捧げたいと治療を断り、私の肖像画を描き始めた。これも当たり前なんです。

―― 先日、戸嶋さんの芸術の話をしてもらいましたが、やはり素敵です。素敵な生き方をして、食えない。食えなくてもいいから、こう行くと。

執行 戸嶋が、現代の多くの人のように、食うために自分を曲げていたら、死にきれなかったと思います。ジタバタした。自分としては不燃焼なのです。

 ところが戸嶋は自分としてできることを全部やったから、あとはもう死ぬ時間まで創意工夫して、やりたいことをやるだけです。これは偉いという話ではなく、私の祖母でも、誰でもそうです。主治医に死を宣告されて、「だったら、もう治療もいい」と。このまま病院に入院したら、お金もかかるし、家族にも迷惑をかける。このまま家で死ぬということで家で1カ月ぐらい過ごし、亡くなりました。みんなそうです。祖母だけでなく、近所で死んだおじいちゃん、おばあちゃんもそうです。私が死に立ち会った人は、だいたい同じで、みんな家で死ねたのです。

 それと、いまの生き死にの話で思い出しましたが、今...
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