●ルネサンスから19世紀までの400年は「葛藤と苦しみ」の歴史
執行 今はきれいごとだと全部通ってしまいます。しかし、たとえば病人がいて、「これがなければ、この病気が治らない」というなら、それは仕方ないのです。
―― 「治らない」で仕方ないと。
執行 それをわからなくなったということです。これは病人を攻撃しているのではありません。私も病気で苦しんできた人間です。宇宙には、神の摂理があるということです。
―― 神の摂理があり、あらかたそれで動いている。そこが本質だということを、全部捨てたのですね。
執行 全部捨てました。その始まりが、ルネサンスです。人道主義。人間中心。ある程度はわかりますが、それが今は行き過ぎたということです。
―― ルネサンスの時代は、まだ神がいてくれた。だから葛藤もあった。
執行 みんなが葛藤し、みんなが苦しんでいた。ルネサンスから19世紀までの400年は、その苦しみの歴史です。
―― 葛藤の歴史ですね。
執行 文学などは、みんなそうです。そして19世紀の終わり頃、もうすっかり捨てたのです。そしてわれわれも知る、楽な20世紀の物質文明を、心おきなくやれたのです。
―― ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは、鋭いのですね。
執行 あのころの時代精神であって、ニーチェが言ったのではありません。ニーチェは時代の精神を哲学的に述べただけです。
―― なるほど、述べただけ。ニーチェの時代に、すでにそうなっていたんですね。
執行 だから400年間の総決算です、ニーチェが言ったのは。そっちに向かっていた。もう今は完成期です。だから私たちのほうが逆に、「変なことをしゃべる」という部類にされています。
―― でも本当は、神とヒューマニズムという呻吟(しんぎん)と葛藤があって、この時代があるわけですね。先生がいつも教えてくれる、ヴィクトリア朝のイギリスですね。
執行 あれが呻吟の頂点です。だから道徳的にも人類的にも、最もすばらしいイギリスが誕生したのです。あの時代は、みんなが呻吟の中にいた。貴族も、民主主義が相当進んでいるから、「自分たちは生まれながらに、こんなに贅沢していいのだろうか」という悩みがある。貧乏人も、いい学校を出れば出世できたけれど、家柄のいい人がたくさんいるので、いつまでもコンプレックスを持っている。
そしてヨーロッパ人は全員、信仰心を失っていた。でも、まだ「信仰心を失った人間はクズなのだ」ということは知っている。
―― うしろめたさは、あった。
執行 全員が持っていた。信仰心を持っていない人も、持っていないことに対して、非常に悩んでいたわけです。その「時代」が、ヨーロッパ最大の文明を築いたのです。ヴィクトリア朝が代表です。
―― あの50年は、やはりすばらしかったんですね。
執行 人類としては頂点です。頂点を過ぎて、戻るほうではなく捨てるほうに行ったのです。捨てる最初がアメリカで、アメリカがすべてを捨てたら、すごく調子よく大発展した。それを見てみんなが、「われも、われも」となったのが20世紀です。
●「これから人類は、創世記をつくらなければならない」
ここまで来てしまうと、もう言ってもダメです。ここまで浸透すると、言ってもわかりません。だから『脱人間論』で「人間であろう」とすることをやめなければ、もう「普通の人間」には戻れないと書いたのです。
―― 「今の人間」をやめないと。魂を持って、この世を修行の場と思ってやらないと、まともな人間には戻れない。
執行 「神がつくった人類」には戻れないということです。それは人類の発祥から、ついこの間までの人類です。肉体も大事だけれど、肉体よりも大事なもののために生きる。当たり前のことです。そして恩のために生きる。それから愛の実践です。このために命を懸けるのが、人類の務めだということです。
これは今だと全部、野蛮な行為ですから。もう全然話が通じません。強い人間が勝ち、弱い人間が負けるのは宇宙の摂理です。この摂理のとおりに行かないと、人類は滅びます。だから「いい悪い」の議論ではないのです。
選抜方法としては昔の貴族制、頭が良くてケンカが強い人間が、力を持って支配者になる。これが最も歴史的に長く、正しい姿勢です。それは「いい」とか「悪い」という議論ではありません。
―― そうですね、「いい」とか「悪い」という議論ではないのですね。
執行 力がない人間が力を持つのは間違いなのに、今はその時代になっている。だから滅びる時代ということです。
―― なるほど。もう越えてしまったのですね、戻れる場所を。
執行 とうに越えています。これはもう戻れません。だから希望はない。いちばん最初に話したように、「希望がある」と思っていたら絶対にわかりません。「希望がない...