●「希望」があるから人間は原発をつくり、消費文明をやめない
―― なんだか乱世に入ってきている感じですね。
執行 乱世なんていうレベルではありません。『脱人間論』という本にも軽く書きましたが、人類の文明史には波があります。何が乱世の定義かというと、驕って、バカで、贅沢で、滅びる民族がいる一方、それを打ち負かす精悍で、質実剛健で、強い民族がいる。これが取って替わるのが乱世です。ところが今の地球上の人類には、取って替わる者がいない。
―― なるほど。
執行 全部ダメです。日本もダメですが、欧米はもっとダメですから。中国も韓国もダメ。これから来るであろうアラビアやインドも全部ダメ。取って替わるものがいないのは、乱世にもならないということです。
―― 確かにそうですね。取って替わるものがないのですから。
執行 これは文明史を勉強すると、必ずわかってもらえます。文明史の第一人者、トィンビーの『歴史の研究』を見ると、文明史とはホモサピエンスができてからの歴史で、ホモサピエンスのうち贅沢な人間が落ちぶれて、精悍で真面目で信仰深い生活を送っている民族が取って替わる。文明史はこれの繰り返しで、トインビーは全部そうです。
それが今はいない。例えば今のアメリカ文明は、消費文明です。この消費文明に替わる文明を立てられるホモサピエンスは存在していません。存在していないことが何を意味するかというと、「滅びる」ということです。
だから私は、これまで何度も同じことを言っていますが、滅びたあとのわれわれホモサピエンスが、新しい人類と共にどう立ち上がっていくかしか考えていません。そのことを本にも書き、研究しているのです。
だから希望はないといえば、希望はないのですが。ただし、いまの人はみんな希望を欲しがっていますが、そもそも希望があるからダメなのです。希望などを持っているから、原爆をつくり、水爆をつくり、プラスチックをつくり、石油文明をやめない。あらゆる消費文明をやめない。
消費文明をやめない人たちと、よくよく語り合っていると、みんな「何とかなる」と思っているのです。つまり希望です。でも本当に人類が立ち直るなら、絶望の中からしか立ち直らないのです。「本当にダメだ」とわからなければならないのですから。だって、もうわれわれには、ゴミを捨てる場所もないのです。プラスチックもそうで、それが少しわかりだした。
―― ゴミ袋も捨てるなと。
執行 原発にしても、燃料棒を捨てる場所が、この地上にはありません。それをどんどんつくっている。捨てる場所がないとわかっているものを、つくっているのです。
どうしてつくるかというと、「何とかなる」と思っているからです。それをきれいな言葉で言えば「希望」なのです。だから私は一回一回、「希望なんかない」と言っているのです。希望なんかがあると思っていたら、人間は絶対に反省しませんから。
―― これはもう無間地獄にはまっているということですね。無限に成長できると思っているから。
執行 そうです。もう頭が壊れてしまったというか、欧米の文明に侵されてしまった。『脱人間論』に書いたのは、その中心がヒューマニズム、つまり人間中心主義だということです。人間がすでに「神」になった。神だから、神にできないことはない。だから希望があるのです。
「神がいて、悪いことをしたら神罰を食らう」とわかっていた時代は、今つくっているものは絶対につくりません。だって、人類が処理できないのですから。
―― 私は今回、先生の『脱人間論』をもう一回、昨晩全部読んで、少し寝不足だと思っているのですが、ギリシャ文明の爛熟期から、「人間的」なものが全部出てくるということですね。
執行 そうです。
●「そのうち誰かが何とかしてくれる」と答える専門家たち
執行 大きな話で言ってしますと、もともと人類史を見たとき、たとえばホモサピエンスだけでも10何万年前から20万年前と言われています。そして、エジプト文明やメソポタミア文明が、文明の始まりです。われわれは、そう学校で教えられて、そう思っている。しかし、よく調べてみるとエジプト文明やメソポタミア文明が始まったときが、本当は「人類の終わり」なのです。
ルネ・ゲノンというフランスの哲学者によると、古代の伝承を伝えているインドの『ウパニシャッド』や『ヴェーダ』には、「カリ・ユガ期」という時代区分が示されており、もう6000年前に人類は滅亡に入っていると書かれているのです。
6000年前というと、一番早いとされるメソポタミア文明が5000年前に文明に突入しました。われわれが今言う文明に突入したのが約5000年前だということです。
だから大きく言ってしまうと、エジプト文明から、こういう文明なのです。要するに、消費に狂...