●「無償の愛の循環」が宇宙のシステムである
執行 (すべての動物の中で、長い期間、大人に育ててもらわないと成人できないのは)とにかく人類だけです。だから人類の特長です。それが何なのか。自分の経験も含めて考えると、「愛を認識する力」です。自分に愛を与えてくれた人や物を認識する力が「恩」です。私もそうやって始まりました。「人間」になった人は、みんなそうです。私が話していて「人間的」と思う人は、まず全員、恩からです。
―― 確かにそうですね。
執行 確かにひどい親もいます。私の親は大変愛情の深い人でしたが、そうでない「とんでもない親」がいることは、私も知っています。それこそ犯罪者まで含め、たくさん知っていますが、そういう人たちと話し合って私が言うのは、これは当然、科学的に考えればわかることですが、「どんなにひどい親でも、どんなにひどい環境に生まれても、人間が成長したということは『一辺の愛を誰かから与えられている』」ということです。そうでなければ、絶対に人間は死にますから。生きているということは、その「一片の愛」を自分は受けているのです。その認識です。
―― 一片の愛を自分は受けているわけですね。
執行 そうです。私は親から無限の愛を受けましたが、これは運がよかったのです。そうでない人もいますが、それでも「一片」は受けている。受けなければ、必ず死にますから。だから私は、そういうふざけたことを言う人と話すときは、その「一片の愛」を、何とか思い出させるのです。追い詰めていくと、やはりわかります。
どんなにひどい親でも、子供に対する愛情を、何かしら持っていた。そこに行き着くのです。すべてが立派な親ではない。しかし、一宿一飯の恩義はある。ヤクザの世界ではありませんが、一宿でも一飯でも人から助けてもらえば「恩」であり、「愛」を与えられたのです。その愛の認識を持てるのが人間です。
それがカリ・ユガ期になり、古代エジプトの時代からダメになったけれど、途中で早めに気づき、警告を与えたのが大宗教家だと私はこの本の中で言っています。キリストであり、モーゼであり、釈迦であり、みんなそうです。
私は宗教も好きで、世界中の宗教を研究してきましたが、全部同じことを言っています。「愛」というとキリスト教を思いがちですが、釈迦も「愛」のことを言っています。言葉が違うだけです。
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