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コロナを克服し新しい日常を実現するための「3つの教訓」

中東におけるコロナ問題(3)変化する日常とサアディーの教訓

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
コロナ禍によりイスラムの生活習慣から、挨拶としての抱擁、茶店での談笑や情報交換など中東独特の風景が姿を消しつつある。山内昌之氏はイスラム世界がコロナ禍以降の新しい日常を獲得するために必要なポイントを、詩人サアディーの言葉を借りて3つ挙げている。それはどんなことか。いずれも中東のみならず日本、そして世界にとって貴重な教訓となるそれらのポイントを解説する。(全3話中第3話)
時間:13:13
収録日:2020/09/01
追加日:2020/11/18
≪全文≫

●コロナ禍で変わりつつある中東の日常風景


 皆さん、こんにちは。

 コロナの禍(わざわい)というのは、社会生活や人々にも大きな影響を与えています。皆さんもご覧になったことがあると思いますが、中東に行くと普通の男性同士が頬をお互いに寄せ合って接吻をしたり、あるいは抱擁をするということは、ごく普通に見られるケースであります。私も最初に行った時は驚きましたが、今度は自分たちが自然にそういう生活習慣の中にある程度まで溶け込むということになります。

 それは普通にイスラム教徒、キリスト教徒を問わず中東にいる人であれば、私たちが握手したり、日本人であれば何回も丁寧に頭を下げる。あれは外国人には大変奇妙に見えるそうですけれども、そうした日常の普通のしぐさができなくなっている、というのは生活に大きな変化がもたらされているということです。

 それから、皆さんご覧になったことはないでしょうか。カイロやテヘラン、あるいはイスタンブール、どこでもいいです。中東の町を歩くと、昼間から男同士が茶店(チャイハーネやコーヒーハウス、カフェハーネ、あるいはアラビア語ではマッハーと言います。チャイハーネ、もしくはカフェハーネというのはもともとペルシャ語に由来する言葉で、トルコでも同じ言葉を使います)で、日がな朝からお茶を飲んだり、トルココーヒーを飲んで長々とおしゃべり、談笑をしているというシーンをよく見かけます。一体何をやっているんだろう、仕事は何なんだろう、そして自分たちの家事労働はどうしたんだろうと思いますが、不思議ですね。あれが仕事の一つなのです。実は情報交換をしているとか、商談をしているとか、さり気なくいろいろなことの探りをいれているとか、そういうことを含めて成り立っている習慣なんですね。


●水ぎせるやタウラ-市民の情報交換の場が失われつつある


 もしくは、シーシャというものをご覧になったことはありますか。シーシャとは水ギセルです。水の中にキセルを通してぶくぶく、ぶくぶくとさせながらたばこを吸うというものです。あのシーシャは男同士が回し飲みをするものなのですが、これが全くできなくなったのです。

 それからバックギャモンのもとになったもので「タウラ」といいますが、これは「盤すごろく」とでも日本語で訳したらよいでしょうか。こういう盤すごろく(タウラ)、すなわちフランス語のバックギャモンを楽しむ雰囲気もコロナ禍を機に減るに違いないでしょう。あるいは、こういう習慣は下火になっていくでしょう。

 私などもカイロやトルコに滞在した際、昼に食事に出た時に、うっかり声をかけられて友人のトルコ人とバックギャモン(タウラ)をやると次第に時間をとられて時間の経過を忘れ、気がつくと12時半くらいから午後4時くらいまでやっている、ということがありました。「こういうことをしちゃいけないな」と、日本人は思うのです。しかし、エジプト人やトルコ人の一部にとっては、それは先ほど申したような単なる遊びではなく、情報交換やいろいろな情報収集の一環でもある。そのあたりは面白いことですね。


●危機感の濃淡や医療従事者への偏見、差別などの問題


 深刻なのはエジプトにおいての例です。やはり衛生観念や感染の危機感がエジプト人医師の表現を借りるとゼロに近い地域もある。それを警告しているのですが、これはエジプトやアラブ市域だけを責められない。欧米などにおいてもマスクをしない人たちはたくさんいますし、私も青山通りなどを歩いたり、あるいは銀座などを歩いていると見かけますが、朝などマスクをしないで歩いている外国人に会ったりします。「ちょっとマスクをつけてください」などと言って、最初の頃よけいなことを一度だけですけれども、注意したことがありました。本当に彼らにとってはよけいかもしれませんが、日本人にとってはそういうマナーはあり得ません。

 ただ、いずれにしても、エジプトや中東だけでなくて欧米でもそうですし、日本でも徹底してマスクを「しない」という人もいるので、他の国のことは言えませんが、そういう点で、ある種の感染に対する危機感がゼロ、あるいはそれを無視する人々も、そうした地域もあるのは事実なのです。

 こういったナイルデルタのある州においては、コロナの治療で病死した医師の埋葬を拒否する場所も出てきていて、実にこれは嘆かわしいことだとエジプト人の心ある人たちは批判しています。すなわち、コロナから護った英雄たちが一転してコロナの保菌者だというふうに見なされたのです。こういうことは医療従事者に対する偏見や差別というものに他ならないというわけです。これは他ならぬ欧米や、あるいは私たち日本においても、本当に無いといえるでしょうか。私たちはこの点も含めてよくよく理解しないといけない点もあると思...
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