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「人に認められたがる」「幸福になりたがる」が問題の根本

脱人間論(8)「犬死にでいい」の覚悟

概要・テキスト
人から嫌われてもいいと思って生きてきたが、20代で恋愛をし、好きな女性ができたときは苦しかった。相手に好かれたくて仕方なかったが、それでも自分を曲げることはしなかった。そのため、ふられてしまい、「忍ばされる恋」になったが、曲げなかったことを今は誇りに思っている。孫が生まれた今、孫を死ぬほどかわいいと思う。だが、孫のために自分を変えるつもりはない。これは死生観が定まっているからでもある。死に方が決まっていれば、生き方も決まる。自分の「志」を守れるなら、自分の人生に満足も納得もしなくてもいい。『葉隠』にあるように「犬死にでいい」という覚悟で生きることが大切だ。(全11話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:11:01
収録日:2021/03/18
追加日:2021/06/11
カテゴリー:
≪全文≫

●理想の女性にふられようとも、一つとして自分を曲げなかった


執行 根本の問題は、そこが私はみんなと決定的に違うので見ていてわかるのですが、みんな「人に認められたがる」のです。人に認められるには、「みんなが認めてくれること」をしなければなりません。それで、やられてしまうのだと思うのです。

 私は運良く、それだけがなかった。「他人からどう思われるか」という発想は、小中学生のころからまったくありません。だから好きなことができる。私はほとんど嫌われてきましたが、嫌われていること自体が嫌ではない。「嫌いたければ嫌えばいい」と思っていました。 

 一番苦しかったのは、20代のころの恋愛です。何回か相手に惚れきって、死ぬほど惚れたけれども、全部ふられた。あのときは苦しくて、相手に「少しは好かれたい」と思ったのは、そのときだけです。というのも20代で理想的な女性に出会ったのです。

 ただ私が誇りにしているのは、相手に死ぬほど好かれたいけれど、そのために一つとして自分の意見を曲げなかったことです。その結果、ふられたわけです。このときは死のうかと思うぐらい悩みましたが、結局は誇りになっています。

―― 「忍ぶ恋」ですね。

執行 「忍ばされた」のです、そのときは(笑)。「忍ぶ恋」が武士道だと思っていますが、そのときは忍びたくなかった。その理想の人が出たときは。

―― でも曲げない。

執行 曲げない。そして「忍ばされた」。そういう感じです。

 これは誰にでも言っているのですが、どんなに恵まれた家庭でも、実はみんな一人なのです。それがわからないと、愛も育めません。

―― 一人で生きていくという緊張感ですね。先生が、『脱人間論』に書かれている呻吟などですね。「俺たち、どうなっちゃうのかなあ」みたいな感じの。年がら年中、緊張感と呻吟の中で揺れ動く。でも、それがあるから勉強するようになる。

執行 当たり前です。

―― できるだけいい人に会うためには、どうするかなども考えるようになる。

執行 私はずっとそうで、今でもそうです。神藏さんが今日ここへ来る前にも「どう生きるべきか」「今自分が何をすべきか」「どう死ぬべきか」、そんな話を従業員にしていました。だから従業員と全然話が合いません(笑)。

―― 今の世の中がおかしくなっているのは、自分はほとんど楽をしているわけです。「なるべく...
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