●独ソ不可侵条約の締結で独英仏の対立を煽る
―― では続いて、ヒトラーをけしかけるスターリンです。
福井 1939年9月1日にドイツがポーランドに攻め入って、その結果、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、これで第二次世界大戦が始まります。その直後の9月7日、コミンテルン書記長のゲオルギ・ディミトロフが、非常に詳細な日記を残していました。そこに残っている発言です。スターリンによると、「この戦争は2つの資本主義国家群(植民地、原料などに関して貧しいグループと豊かなグループ)」の間で起こっています。日本でも「持たざる国」と「持てる国」と言ったりします。
―― アウタルキーなど、いろいろな言い方がありますね。
福井 はい。要は日独対英米仏です。その間で「世界再分割、世界支配をめぐり行われている」と言っています。「我々は、両陣営が激しく戦い、お互い弱めあうことに異存はない」です。そして、ドイツの手で最大の帝国主義国である「英国の地位がぐらつくのは、悪い話ではない」のです。「ヒトラーは、自らは気付かず望みもしないのに、資本主義体制をぶち壊し、掘り崩して」くれているのです。
さらにずたずたに彼らが引き裂きあうように、けしかけなければいけません。そのため、独ソ不可侵条約は、けしかけるための条約だったということです。もし、ドイツがソ連と不可侵条約を結ぶことができなかったら、英仏に屈服せざるを得ない状況でもありました。
―― そういう状況だったのですか。
福井 そうです。ですからドイツは非常に困っていたのです。英仏がというより、イギリスが非常に強硬であって、ドイツは引くに引けない状況になっていました。
―― 当然ソ連との不可侵条約があるからこそ、ポーランドに侵攻できたともいえますね。
福井 そうです。もしも英仏がソ連と組んだら、もう完全に包囲されます。
―― ドイツとしてはもう打つ手がなくなってしまうということですね。
福井 そうです。スターリンはさすがで、英仏とも交渉していました。英仏とドイツを天秤にかけていたともいえます。
―― なるほど。先ほどミュンヘン会談の話もありましたが、スターリンの立場から見ると、ヒトラー自身が拡張政策で周辺国を併合していく動きの中で、英仏とも交渉し、ドイツとも交渉したということですね。
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