●ネクストを立ち上げ、ピクサーを買収する
―― 自分がつくった会社を追い出されます。最年少で大富豪になるというのも、そこからわずか30歳で追放されるというのもなかなかない話だと思います。ここから第2期に入ります。
桑原 そうです。追放された時点のジョブズは、「アメリカでもっとも有名な敗北者」という言い方をされるぐらいにセンセーショナルに受け止められます。この30歳の時にジョブズがどういう選択をするかというと、先ほどお話ししたように、いろいろな選択肢がありました。落ちてしまったのですが、宇宙飛行士にも応募しています。教授やベンチャーキャピタリストになることもできるし、もちろん遊んで暮らすこともできました。いろいろな選択肢の中で選んだのが、アップルから引き抜いた5人の人間と一緒にネクストという会社をつくることでした。
―― これは何の会社ですか。
桑原 主にコンピュータをつくる会社です。先ほど申し上げたように教育事業に対する関心が強いので、教育に関するコンピュータをつくろうということで、かなり先進的なコンピュータをつくりました。しかし、ハードそのものはうまくいきませんでした。
その時に出会ったのが、ジョージ・ルーカスがやっていた会社のCG部門です。当時はピクサーという名前ではありませんでしたが、ジョージ・ルーカスが離婚のためのお金が必要だということで売りに出していました。それを購入して、最初はやはりCGのパソコンをつくろうとしたのですが、うまくいきませんでした。最終的には映画会社として、映画をつくるほうに変わっていきます。
そういう意味では、ピクサーが株式公開するまでの1985~1996年は、ジョブズにとっては本当に辛い時期で、自分の持っている資産をどんどんつぎ込んでいきます。日本のキャノンもネクストに出資していますが、そういったいろいろなところに出資を仰いでいました。とにかくジョブズにとってはなかなか思い通りのことができない、辛く厳しい時代だったのですが、そこでやっていたものが、後にまた全て花開いていって、ジョブズの3番目の黄金期を迎えることになります。
●ジョブズの卓越した交渉力を支えたピクサーへの自信
―― この年表の中で見ていくと、第2期で、『トイストーリー』が世界的な大ヒットになるなど、皆さんが聞いたことのある作品が出始めます。
桑原 ただし、これもやはりディズニーのお金があってできることです。ディズニーとの交渉に関しては、いかにもジョブズらしさが存分に発揮されています。ピクサーは今や誰もが知る会社ですが、やはりジョブズだったからこそピクサーはピクサーになることができたのだと思っています。
―― それは具体的にはどういう意味ですか。
桑原 やはりディズニーはあまりにも大きい巨大企業なので、それが本当に数十人でやっている小さな会社に映画をつくらないかと頼むこと自体が異常です。つくるにしても下請け的につくるのが普通だと思うのですが、ジョブズはディズニーとの間でほとんど対等な交渉を行って、有利な条件をはじき出します。それから2作目、3作目に関しても、さらに交渉して有利にしていきます。ジョブズは若い時から非常に卓越した交渉力を持っていました。
また、ピクサーの可能性についてもよく分かっていたと思います。「そんなこと、ジョブズは分かっていなかった」という言い方が世間的には多いのですが、分かっていたからこそ、ハード部門を捨てて、全くお金にならない映像部門に自分の資産をつぎ込むことができたのだと思います。
―― 逆にいうと、そこが分かっていないと交渉はできません。基本的には、「俺たちはこんなにすごいのだ」という態度で交渉していくということですね。
桑原 そうですね。
●なぜジョブズはアップルに戻ってくることになったのか
―― なるほど。第2期の最後では、ジョブズがつくったネクストがアップルに買収されて、自分がアップルに返り咲くことになります。これはどういう経緯でしょうか。
桑原 はい。当時のアップルはジョン・スカリーによって、一時期は世界一のコンピュータメーカーになるのですが、そこから数年は良くて、その後、真っ逆さまになります。ジスカリーが政治に関心を持ったり、経営から目を離したという言い方をされていますが、このままだと倒産するか、どこかに買収されるしかないという状態でした。書いてあるように、アップルの株価は14ドルで、本当に紙屑になるのではないかといわれるぐらい経営がダメになっていました。
その理由は、製品をつくる力がなかったなど、あとでジョブズがいろいろと言っています。そこで、アップルが復活するためには新しいOSが必要でした。今のアップルの場合、iOSという言い方をします...