●長期戦を避けなければならない――「統帥綱領」に学ぶ教訓
田口 今度は「統帥綱領」のほうへ移りましょう。
「統帥綱領」の第一は「統帥の要義」として、「現代の戦争は、ややもすれば、国力の全幅を傾倒して、なおかつ勝敗を決し能わざるにいたる」とあります。つまり、現代の戦争はどうしても長期戦になってしまう。したがって、長期戦を避けなければならないということを、まず現代の戦争では考えなければいけないというのです。
「故に、我が国はその国情に鑑み、勉めて初動の威力を強大にし」とありますが、今は「初動にどの程度の威力ある計画・備えがあるのですか」と聞いても、区分がありません。「長期戦になったときはどうするのか。初動はどうするのか」といった区分もなく、何に対する計画なのかがよく分からないことになっている。この点が非常に問題だということです。
そして「速やかに戦争の目的を貫徹すること特に緊要なり」。本当にこれは重要です。
次の「政戦」とは、政治と戦争のことです。政治と戦争では、ともに戦略を持たなければならない(両略)。「これは戦争で行ってください。これは政治で行います」などと言ってはいけない。要するに、政治の中には両方に関係する情報が入っています。そうした立体的な戦略を立てなければいけないということを、ここでは述べているのです。
そこで孫子は何と言っているのかというと、「其の戰を用ふるや、勝つも久しければ(戦いが長引けば長引くほど)、則ち兵を鈍らし鋭を挫く」。軍隊の兵隊というものは、いつも死の危険にさらされているので、ある意味では緊張の極地にいます。飛行機が飛んできてバーンと撃たれれば、それで自分の人生は終わりであることを皆が感じている。だから、一見ただボーっとしている様子だけど、頻繁にどこか後ろから飛行機が飛んでくる、敵機が飛んでくるのではないかと思っている。だから常に緊張していてくれと言われるわけです。だから戦いが長引くと、「則ち兵を鈍らし鋭を挫く(兵を疲弊させ鋭気を挫くことになる)」。
そして「城を攻むれば」とは、首都陥落です。それが最も「力屈す」。「久しく師を暴せば、則ち國用足らず(長く軍を露営させれば、予算が不足してしまう)」。
先ほどの話に戻ると結局、ロシアは軽く戦争をスタートしてしまったものだから結局、城を陥落できないで後戻りしたという状況になりましたね。
―― はい。
●「緒戦に全力投入しろ」
田口 「夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫さば、則ち諸侯其の弊に乗じて起らん」。ここで「貨を殫さば」という文言が入っています。戦争が長引けば長引くほど、金がなくなってくることがとても利いてくるということを、孫子は2500年前に言っているのです。「則ち國用足らず」で、お金がなくなってくるということはどういうことか。情報はタダで取れず、何するにも金が必要なのです。つまり情報すら思い通りに取れないような状況になるということをいっているのです。
そして「夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫さば、則ち諸侯其の弊に乗じて起らん」。この頃は皆で戦っていたので、相手のスキがあれば(弱ってきた、少しフラフラという態度を見せたら)サバンナの猛獣のようにワッと襲われてしまう。するとバタッと倒れて死んでしまう。だから弱ったところなどは見せてはいけないのです。
―― なるほど。
田口 それと同じことで、フラッとしていると、どこから敵が来るか分からない。ロシアなどという国は、(第二次世界大戦時)日ソ不可侵条約を侵して、8月15日の直前に対日参戦しました。これは「絶対勝てる」と思ったら攻めてきたという、一番の典型例です。
―― 日ソ戦は本当にそうでしたよね。
田口 そういったことはあり得るということを考えなくてはいけない。
そういう意味で、「智者有りと雖も(どんなに頭のいい人間がいれども)、その後を善くする能はず(そののちをよく挽回したりなどすることはない)」といい、「兵は拙速を聞く(短期決戦に出て成功した例は聞いたことがある)」と出てくる。「拙速」については「準備不足なのですが(始めました)」という意味で「拙速ながら」などと使われますが、そのようなバカなことを大孫子が言うはずありません。これは、準備不足でもやっているということではなく、「緒戦に全力投球しろ」という反対のことを指している。徹底的に全てをかけろと言っているのです。
したがって、「未だ功の久しきを睹ざるなり」。つまり、巧みに戦っているから長期戦でも勝てるという例を私(孫子)は見たことがない、と...