●主人公というより、狂言回しの役割を演じる光源氏
それでは『源氏物語』を少し読み解いていきます。『源氏物語』は、一筋縄ではいきません。いろいろな物語が混じっていますから。でもここでお願いしたいのは、漫画ではなく文章で読んでほしいということです。漫画やアニメだと一番大事なところがころっと落ちてしまいますし、イメージが固定されてしまいます。やはり一人一人のイメージは、読者が自分の心の中で作り上げることが望ましいと思います。
今まで与謝野晶子や円地文子、谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴など錚々たる作家による現代語訳が作られていますが、そういう現代語訳で読むのもいい。もちろん私の『謹訳 源氏物語』で読んでいただくのが一番嬉しいのですが。
末摘花(すえつむはな)をめぐる物語も出てきます。彼女は常陸宮(ひたちのみや)という亡くなった宮様の一人姫で、非常に頑なで内気な、気の利かないお姫様です。ボロボロの化け物屋敷に住んでいるという話を源氏がふと聞きかじって、興味津々で口説くという話です。これについては、あとでまた詳しく話します。
一番中心になるのは、やはり紫上(むらさきのうえ)の物語です。これについてもまた詳しくお話をしますが、紫上はこの作品の中で人間的に最も詳しく、最も美しく魅力的に描かれています。源氏は、最後の最後まで一番好きだったのは紫上だということが分かります。
玉鬘(たまかずら)の物語は、(第一話で)少し言ったように夕顔の遺した姫君の話です。大きくなって乳母に連れられて太宰府のほうに行ったところ、とんだセクハラおやじに迫られて都に逃げ帰ってくる。そして長谷の観音様の巡り合わせで、源氏に見いだされます。
源氏はまた悪い男で、頭中将の娘だと分かっているのに、自分の娘だと嘘をついて自分の手元に引き取り、あわよくば、ものにしようする。非常にセクハラおやじの源氏の話がいろいろ展開していきます。お琴の稽古をさせながら「どれどれ」などと言って、後ろから覆いかぶさって弾き方を教える。まさにセクハラです。
それを紫上は知っていながら、大騒ぎしない。ひんやりと微笑んで見せるといった、すごくいい話です。ところがこれも最後には、鬚黒の右大将(ひげくろのうだいしょう)という一番の野暮天男にスッとさらわれてしまう。そういう物語です。
●千古不易――してはいけない恋に手が出てしまう光源氏
それからもう1つ、全然系統が違う六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)をめぐる物語があります。彼女は今はもう皇太子は亡くなっていますが、その亡き皇太子の奥方だった人で、源氏より7歳も年上です。皇太子の遺した夫人だから、源氏が口説くのはタブーです。でも源氏は自分の父の中宮である藤壺(ふじつぼ)にまで密通を仕掛ける男なので、してはいけない恋にどうしても手が出てしまいます。ここが恋愛というものの一つの秘密ではないでしょうか。
「していいよ」という恋愛は物語にならない。「してはいけない」「罪だ」といわれるところに行くことで、さまざまな物語ができるわけです。今のテレビドラマも、みんなそうです。不倫など禁じられた恋が、いろいろな物語になる。その一つの典型です。
そして六条御息所は懊悩(おうのう)して、とうとう自分の娘を伊勢の斎宮(さいぐう)に任じてもらい、自分も伊勢に行こうとします。伊勢と京都は遠いから、さすがの源氏も通ってこられない。そうすることで源氏との邪恋を思い切ろうとするのです。
その最後の巻の「賢木(さかき)」で、のちに秋好む中宮(あきこのむちゅうぐう)といわれる六条御息所の娘が、斎宮になるために物忌みをします。野宮(ののみや)で謹慎生活を送り、いよいよこれから伊勢に下るというときに、源氏はわざわざ六条御息所に会いに来るのです。もちろん会ってはいけないのに、一晩中かかって少しずつ少しずつ屋敷の中に忍び込み、とうとう再会を遂げるという話です。大変な名場面です。
でも「車争ひ(くるまあらそい)」というので、六条御息所は源氏の正妻で左大臣の娘の葵上(あおいのうえ)にないがしろにされ、これが心に収めかねて、とうとう怨霊になる。生きながら怨霊になるのが、御生霊(いきすだま)です。御生霊となって祟り、三条奥にある葵上を取り殺す話になっていくのです。
恐ろしいですね。(映画評論家の故・)淀川長治先生じゃないですが、「こわいですね、こわいですね」という非常に恐ろしい、スリラー的なところがあります。ぞっとするような話です。
このように、さまざまなストーリーの中心に源氏がいて、さまざまな女性たちをめぐって、その1人1人の女たちの苦悩を丹念に描いていく。女の人たちは、みんな苦悩している。正妻である葵上は、...