●「ここに実事あり」とすら書かない
では、『源氏物語』の深読みです。『源氏物語』は、ご案内のように簡単にいえば恋の物語です。男と女が出会えば恋が生じる。その恋には罪があったり、苦しみや悲しみなど、さまざまなものが出てくる。AさんとBさんが出会って好き合って、みんなに祝福されて結婚したというのでは、話になりません。そこにやはり、あってはいけないことなど、いろいろあるわけです。
ここで少し言っておきたいのは、日本人の伝統として、「恋」には一つの形があったことです。男が女の閨(ねや)つまりベッドに、夜になったら通ってくる。そして明け方のまだ暗いうちに帰っていく。こういう形をしているのです、恋というのは。
ただなんとなく「あの人が好きだなあ」などと、ぼんやり思っているのは恋とはいわない。憧れ程度です。だいいち昔の本当の深窓のお姫様は、人前になかなか顔を出しません。憧れることもできないわけです。
しかし、恋となると、必ず肉体性を伴っている。一晩ともに寝て、そこに肉体的な関係を伴った上で、「愛する」「苦しむ」といったことが生じてくる。これが恋だと、日本人はものすごくプラグマティック(実利的)に考えています。「蝶よ花よ」などというのは恋のうちに入りません。
『源氏物語』もこれを前提に書かれていて、そうしたエロティックな色恋の場面はあちこちに出てきます。ただし、それは当たり前のことです。男が女の閨へ通い、明け方に帰っていった。その間に2人で将棋を指していた、などということはありません。必ず閨をともにして、そこには性行為を伴っている。これを「性行為」などと露骨なことをいわず、昔の人たちは「実事」といいました。「ここに実事あり」などというのです。
ところが、『源氏物語』には書いていません。『源氏物語』は、当たり前のことは書かないという文学です。ここへこうやって来て、男が女の人の閨に入った。もうそこから先は実事があるに決まっている。だから次は終わった後、帰るところから書いてある。当然、読者たちは、そこを想像するのです。
三文小説と違って、「あっはん、うっふん」なんてことは書いていません。でもそこを想像させるところに、実に奥深いエロティシズムがあると思います。今日はそういう恋の名場面、エロスの物語としての『源氏物語』を読んでみたいと思います。
まず「...