●女三の宮が不義の子を産んだことで最終的に救われる紫上
しかし、女三の宮(おんなさんのみや)には、頭中将(とうのちゅうじょう)の息子の柏木(かしわぎ)が無理やり言い寄ってきます。6年前だったでしょうか、たまたま蹴鞠の庭でふと女三の宮を見かけて、すっかり恋心になったのです。そして、病気になった紫上が六条院から実家筋の二条院に引き取られ、病気の養生をしている時です。光源氏がそちらに行っている暇に、柏木が通ってきて密通してしまうのです。
この密通によって、子どもができます。かつて藤壺(ふじつぼ)と子どもができた、源氏自身が犯した大きな罪が、柏木の不義によって因果応報の目を見るのです。つまり、女三の宮は源氏の正妻として来たけれども、女としては源氏から一度も顧みられず、罪の子を産んでしまうという非常に悲惨な目に遭うのです。これによって紫上は、やはり最終的に救われるのです。
このように紫上は何度も何度も苦しい思いをするけれど、最終的に救われるのです。その紫上が死ぬ場面を、最後に読んでみたいと思います。
「御法(みのり)」の巻で、「中宮は、参りたまひなむとするを」というところです。
《中宮は、参りたまひなむとするを、今しばしは御覧ぜよとも、聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏(うち)の御使(つかひ)の隙(ひま)なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。
かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。〈こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ〉と、来(き)し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の薫(かを)りにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひたまへるけしき、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。》
このあと少し紫上や源氏が歌を詠み交わすところがありますが、略します。
●釈迦の入滅にも似た、紫上の幸せな死に方
《「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげにはべりや」
とて、御几帳(みきちやう)引き寄せて臥(ふ)したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、〈いかに思さるるにか〉とて、宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見えたまへば、御誦経(みずきやう)の使ひども、数も知らず立ち騷ぎたり。先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜(よ)一(ひと)夜(よ)さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ》
このように、何の苦しみもなく死ぬことが、まず紫上の幸福の一つです。それから自分が愛して育てた中宮が、紫上の手を取っています。最愛の夫の源氏とその息子も、看取っています。これはいわゆる釈迦の入滅にも似ています。みんなに囲繞(いぎょう)されて(囲まれて)、その最期を看取られて死ぬのです。こんな幸いな死に方をした女性は、他には一人も出てきません。
しかも中宮は、天皇のお后です。天皇にとって一番いけないのは、死の穢れに触れることです。死にそうになったら、桐壺更衣(きりつぼのこうい)だって外へ出されます。死にそうな人は皆、宮中から外へ出されるのです。
そのお后がわざわざ源氏のところに来て、いまや死にそうになっている紫上を見舞います。いくら宮中から「帰ってこい」という使者が来ても帰らず、死の穢れに触れることを厭わずに手を取って見送ります。こんなことは、この時代の常識からしたら驚天動地、破天荒なことです。そのぐらい紫上は、幸いの死を遂げたと書かれているのです。
このように、紫上が最後は幸福に死んだということで終わったあとに、(紫式部は)「幻」という一巻を作ります。12カ月の間、毎月毎月、源氏がいかに腑抜けになってしまったかをずっと書いていくのです。このことによって源氏は、紫上に死なれてもう生きている甲斐がない、まもなく出家して死ぬと書いてあります。これはこれ以上ないぐらい、紫上に対する鎮魂歌です。
このようにして紫上は、最後はこの上なく救われていく。こういうことを女の立場で紫式部が書いた。すると、それを読んだ女房たちも、涙をしぼりながら「なんて紫上様は幸福だったんだろう。女としては、こんなふうに一生を送りたいものだ」と思う。そのような物語なの...