●妻は皇族の孫
こんにちは。では『源氏物語』のお話を続けましょう。
『源氏物語』は登場人物がものすごくたくさんいますが、その一人一人に際立った個性があります。同じような人が二人と出てきません。このあたりが、本居宣長などがたいへん褒めているところです。『水戸黄門』のようなステレオタイプの話だと、善玉・悪玉は決まっています。悪玉の悪代官と腹黒い商人がいて、キンキラキンの袴を履いた悪代官が袖の下を取るなどと、だいたい決まっているのです。(『源氏物語』には)そのようなステレオタイプの人物が全然出てこない。一人一人が本当に生きている人間のように別々に書き分けられている、と述べています。
そうしたことが一流の文学の証です。千年も前に、ここまで人物をよく観察して、一人一人描き分けた。その才能や力は奇跡に近いと、私は思います。
そこで今回は、『源氏物語』のいわゆる主人公たちとは別に、脇役も見てみましょう。
いい映画には男の主人公、あるいは女の主人公の他に、いい脇役が出てきます。例えばかつては志村喬や宇野重吉といった名優が脇役を演じていました。すると、映画もたいへん味わいが出てきます。『源氏物語』にも、なかなか味のある脇役が出てきます。その中の一人、明石の入道(あかしのにゅうどう)についてお話をしてみようと思います。
明石の入道はもともと大臣の家柄でしたが、少し偏屈で人と折り合いが悪く、宮中での折り合いも悪い。そのため近衛中将(このえのちゅうじょう)という高い地位を得ながら、わざわざ捨てて、自ら望んで播磨守という受領(ずりょう)、つまり地方官に格下げしてもらい、播磨国に下っていった。そんな変人奇人、偏屈者として出てきます。
受領とはどういうものかというと、この時代の受領は地方官ですが、その地方の殿様のようなもので、いろいろと収入がたくさん入ってきます。地位は低く中級の貴族にすぎませんが、お金はすごくあります。これが日本社会の面白いところで、地位の高い人が必ずしもお金持ちではないのです。地位の高い人はそれだけ経費もかかるので、貧乏で借金だらけだったりもします。ところが、受領は中央の目が届かないところで好きなだけ蓄財ができるので、その多くが大変な大金持ちです。
さて、彼には明石の君(あかしのきみ)という娘がいます。彼は明石の入道ということで「入道」ですから、もう出家してお坊さんになっています。そして自分の娘を偉い人の嫁にして、偉い人と縁づけたいと思っています。光源氏の腹心の臣下の一人に良清(よしきよ)がいますが、良清は地方官のような身分です。一所懸命、明石の君に求婚しても相手にされない。(明石の入道は)「あの程度の男にやってなるものか」と思っているのです。
願わくは自分の娘を第一級の貴族、あるいは皇族に縁づかせたい。そうすれば、自分はその外戚として大きな権力を得ることができる。おそらく中央の華々しいところに返り咲こうという野心も持っていたのでしょう。彼の奥さんは、中務宮(なかつかさのみや)という皇族の孫にあたる身分の高い人です。そんな夫婦の間に生まれたのが明石の君なのです。
当時の源氏は中央でスキャンダルまみれになっていて、いつ寝首をかかれないとも限らないので、須磨に逃げていました。エスケープして、しばらく身を潜めている、つまり謹慎しているのです。その話を明石の入道が聞きつけ、「すわこそ」、チャンス到来と思った。源氏ほどの人が明石の隣の須磨の浦に来ている。「これをいただかない手はない」と思うのです。
そこへちょうど大嵐がやって来ます。それこそ須磨のわび住まいが壊れるような、大変な大嵐です。明石の入道は今こそチャンス到来とばかりに舟を出し、源氏を迎えに行きます。そうして明石の里に迎え、自分の娘を合わせるのです。
源氏は都に紫上(むらさきのうえ)を残して単身赴任していますから、さびしい独り身です。最初は紫上のことを思い、ためらいますが、結局は明石の君と仲良くなり、姫君が生まれます。この子が明石の姫君(あかしのひめぎみ)、のちの明石の中宮(あかしのちゅうぐう)です。
●紅涙を振り絞るような名場面
姫君は生まれたものの、いくら源氏の娘でも、明石の片田舎で、しがない受領の娘として育てたのでは、出世の手がかりにはなりません。源氏の手元に引き取ってもらい、源氏の娘として中央政界に披露してもらわなければ、何にもならない。だから源氏に、ぜひ引き取ってもらいたいと思うのです。
明石の君は非常に聡明な女性で、聡明だから自分のような田舎育ちが源氏のいる都に出て行っても、それこそ桐壺更衣ではないけれど、どんな目に遭わされるか分からないと思っている。どうせろくな目...