●モンゴル帝国は本当に大虐殺を行なっていたのか
宮脇 モンゴル帝国は、だからその担い手にとっては全然悪くなかったのです。もちろん、やられるほうは大変だったと思いますが、でも大虐殺があったなどというのは見た人がいない。これは書き手の問題です。
―― 確かにモンゴル帝国というと、降伏勧告を送って、従わなかったら皆殺し、といったイメージがありますけれど。
宮脇 実際に(虐殺を)行ないはしたのですよ。降伏勧告を送り、(従わなかったら)見せしめとして、陥落しなかった、つまり自分たちの家来にならなかった町は全部滅ぼしたといったことはあった。それは記録にあるのですが、でも書いた側が滅ぼされた側なのです。例えば「ヘラートで160万人を大虐殺」などといっているけれども、5年後に町が商売で復興していることを考えると、その数字ではないでしょう、と。
―― 本当に皆殺しをしたのかどうか、ということですね。
宮脇 それから、金や南宋をモンゴルが滅ぼしていくわけですが、漢籍には皆殺しの記録はほとんどないのです。
金の中都(今の北京)は包囲作戦で、かなり大変だったことは確からしい。つまり、食料がストップしたりして、ひどい目に遭ったから落ちる。でも、それは漢籍ではいつものことで、モンゴルだけではないのです。
―― 中国のいろいろな歴史による攻防では、ずっとあったことですね。
宮脇 だから、あまり書かないのです。イスラム教徒は、それまでの戦争が人殺しをほとんどしないネゴシエーションだったので、カルチャーショックが大きかったのです。
―― それは、今の日本人によるイスラム教へのイメージからすると、ずいぶんと違うところですね。
宮脇 イスラム教徒同士の戦争は、少し戦ってダメだったら「もうこちらは負けたことにしよう」とか、それから人質は身代金をたっぷり取れるから大事にして送り返そうなど、そのようなことをしていた。だから、モンゴル人が原則通りに本当に殺したというので、ショックが大きかったと言われています。
もう1つは、モンゴル人が自分たちで「虐殺した」と大宣伝したという説もあります。そうすると、次の町がすぐ落ちるでしょう。
―― 確かに、「やられては困る」ということになりますね。
宮脇 その2通りあるようです。
―― では、あの(虐殺の)イメージも100パーセント信じ過ぎてしまうと、やや違うかもしれないと。
宮脇 もちろんなかったとは言いません。なぜかというと、遊牧民はいつだって家畜を殺して生きている人たちなので、現代のわれわれからしても、殺さないことはあり得ないだろうと思います。でも、例えば10万人の軍隊が100万人を殺すのは無理だろうと。
―― なるほど。
●すごく単純だった!最強のモンゴル軍の仕組み
―― 当然、先ほどもお話で出たように、戦争に行って略奪をして、それが自分たちの財産になるのですね。
宮脇 そうです。町を落としたら、殺さなくても、町の人間と財産を皆で山分けする。それはあったのです。
―― そういうことは行なっていると。それができる人が尊敬され、ハーンになるのですね。
宮脇 ハーンが(戦利品を)全て自分のポケットに入れるのではなく、家来に分けるというのが大事なことです。
―― そこが面白いところですね。
次になぜモンゴルが強かったのかというお話をお伺いしたいですが…。
宮脇 その仕組みを話さないといけませんね。
―― なぜこれほど勝つのでしょうか。先ほど、その脅かしというか、実際に「ここと戦って負けたら大変なことになるから、もう降伏してしまえ」ということも当然あるのでしょうが、そもそも強かったわけですね。
宮脇 それは、やはり仕組みがすごく単純だったからです。つまり、株と同じです。
―― 株ですか。
宮脇 チンギス・ハーンは、自分のもとに集まった遊牧部族長たちに「お前のところには家来が何人いるか」などと調査するのです。それほど簡単に国勢調査みたいに正確には分からないけれども、部族長は「うちは3000人くらいだ」「うちは1万人はいるぞ」「500人だ」など、きちんと自己申告するのです。
チンギス・ハーンのもとには十人隊、百人隊、千人隊、万人隊がいて、千人隊がおおよその基本となるという分かりやすい仕組みです。これは記録があって、「部族長○○のところには三千人隊」あるいは「○○は五千人隊」というと、例えば兵隊を3000人出せるだけの家来がいるということになる。だけど、3000人を全部出してしまったら遊牧できなくなり、それは難しい。
基本的に「クリルタイ」という部族長会議で、「今度は○○に戦争に行く」といった世界征服計画を策定する。そこで、全世界に行くつもりだったけれども、軍隊の数に限りがあるから、「今回はどこに行く」などと順番を決める。...