●冷戦終焉で世界は浮かれていた
―― 皆様、こんにちは。
中西 こんにちは。
―― 本日は中西輝政先生のお話を伺いたいと思います。中西先生、どうぞよろしくお願いいたします。
中西 よろしくお願いします。中西輝政でございます。
―― 中西先生が最近お出しになったのが、『偽りの夜明けを超えてⅠ 「冷戦終焉」という過ち』(PHP研究所)という2023年3月に発売された本です。その前に発刊されたのが、『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』(PHP新書)という2016年12月に発売された本です。後者がちょうどトランプ氏が大統領選挙に勝って政権が誕生する直前に発刊され、前者はウクライナ戦争が始まって世界が激変しつつあるその最中の発刊になります。
両方のご本を拝読させていただきまして、まず『「世界激変」の行方』では構造――どうしてトランプ氏のような政権ができたのか、またそこに至る時代的な背景、グローバリズムがどうなのかという構造――を非常によくまとめてくださっています。『偽りの夜明けを超えて』は、月刊誌『Voice』で2017年4月号から2022年の11月号に掲載された論文を集めているということで、時代の流れが非常に読めるご本だと思って拝読いたしました。
中西 そうですね。ちょっと敷衍(ふえん)して説明します。最初にご紹介いただいたのは、2016年に出した『「世界激変」の行方』です。これは、今後の世界は激変のシナリオを辿らざるを得ないということを予想して、事実、その通りになって今日を迎えています。とうとうウクライナ戦争にまでつながってしまいました。
この本は2016年の出版でしたが、このような世界になるだろうと私が大きな方向性と見通し、展望を持ったのは、実はもっとずっと以前のことです。
さかのぼれば、冷戦終焉ということで、世界中の人が「これで冷戦が終わったのだ。世界は平和な時代を迎えるのだ」と、こぞって喜びました(「ベルリンの壁崩壊シンドローム」といえましょうか)。1989年にマルタサミットがあり、そして冷戦の終焉が世界中にはっきりと意識された時代でした。あのときに「冷戦が本当に終わったのだろうか」と、この世界で当時、私たった一人だけそういった異論を唱えているような印象さえ持ちました。それほど世界中が、ワンパターンの思考に染まってしまったのです。
●中・ロの共産主義は残っていた
中西 冷戦とはいったい何だったのか。それは、共産主義と資本主義あるいは自由主義というイデオロギーの対立。それから、米ソを中心とした両陣営の軍事的対立。さらには、社会主義経済と資本主義経済という経済システムの対峙。こういうことだったと言われてきたのに、共産主義の国は中国をはじめ、まだたくさん残っていた。その2年後には、ソ連が崩壊しますが、ソ連が崩壊してもロシアはすぐに市場経済になったわけではありません。今日よくわかりますが、ロシアはやはり国家社会主義、国家資本主義といった形です。
そして、中国はもちろん共産党一党独裁をずっと続けている。ベルリンの壁が崩壊した年はまた、天安門事件を中国が起こした年でもあります。あの血塗られた全体主義の弾圧を、世界は見たはずです。
この年のその5か月後にベルリンの壁が崩壊したからといって、どうして冷戦が終わるといえるのか。こんな馬鹿なことはないだろうと思ってソ連を見ていると、ロシアになっても(体質としての)共産主義、全体主義的な方向をどうしても目指そうとするエリツィン政権、あるいは初期のプーチン政権を含めて、これは将来に大きな禍根を残すだろう。今は力関係が劣っているから大人しくしているだけだ。アメリカや西側の力が圧倒的に強くなって、ソ連が崩壊し、経済的にも中国やロシアの力ではどうにも対抗できない。やはり経済力をつけて、まず国を強くすることが第一であると。
●将来の野望を胸に秘め、我慢した時代
中西 第二は、共産主義を守り抜く。あるいは西側の民主主義をはねつけて、全体主義を守り抜く。そういったプーチン的、さらにいえばKGB国家、スパイ出身者が国を牛耳るという、非常に強面で武断主義の国、このような将来の方向性を胸に秘めて、今は黙々と我慢をし、被覆している国々。これが当時の中国、ロシアだったのです。1990年代はずっとそうでした。
中国では鄧小平氏が登場し、市場経済化を唱えたのですが、鄧小平氏は実は何と言っていたか。ご承知の通り、「韜光養晦(とうこうようかい)」です。今は爪を隠して自分の力を発揮せず、むしろ頭を低くして、世界に対抗心を持つような振る舞いをしてはならない。要するに、力をつけるまでは、われわれは大人しくしているべきだ。力をつけたそのときには、主張すべきことは主張するのだ――「韜光養晦」とは、こういった含みのある言葉なのです。
あの...