テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

時間の観念「劫(カルパ)」の伝承とカルカッタの衝撃

インド神話の基本を知る(4)文化の始まりと死後の世界

鎌田東二
京都大学名誉教授
情報・テキスト
文化の始まりや死後の世界は、インド神話でどのように語られているのだろうか。中でも死後については、日本でも語られている、天国と地獄に分かれて輪廻転生するという話のもとになったのがインド神話で、そこでは「死と再生の繰り返し」の物語が描かれている。シリーズ最終話では、死後の世界について詳解しながら、文化の始まり、そしてインド特有の「時間の観念」についても見ていく。(全4話中4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:14
収録日:2022/06/07
追加日:2023/10/08
キーワード:
≪全文≫

●文化の始まりは「言葉の始まり」


―― 人間についてはいろいろな起源があるということでしたけれども、次に文化の始まりというところはどういうことになりますでしょうか。

鎌田 文化で一番重要なものは「言葉」です。その「言葉」がどのように始まったのか。『ヴェーダ』の中にすでに言葉の始まりについて書かれています。言葉そのものがいってみれば「宇宙の息」で、言葉の神、言葉の神性のようなものが述べられている。言葉も神として、あるいは宇宙の神聖なる現れとして、それが人間の世界にもつながってきている。

 インドの言葉に「マントラ」があるでしょう。インドの宗教は日本にも伝わってきて、例えば真言宗の不動明王の真言は「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソワカ ウンタラタ カンマン」です。こういうものの起源、言語の神聖さは、インドの哲学や思想、宗教の中では一番大切なものとしてあります。だから、文化の一番根幹は言語である。言語の源は『ヴェーダ』の中の神聖なヴァーチュという言語神の存在から始まっている、ということになります。


●インドの「死後の世界」は死と再生の繰り返し


―― 先生がおっしゃったのは、言霊のようなものになるわけですね。

鎌田 まさに言霊です。

―― そうしますと、神様の出来事については先ほど壮大なお話を伺いました。死後の世界はどのように考えているのですか。

鎌田 死後の世界については、先ほど言ったように(第3話)、死んだらヤマのところへ行く。ヤマによって、生前に行った行為をジャッジされる。

 このあたりは、このテンミニッツTVの講座の中でも(以前に)、プラトンの『国家』で「死んだあとは天の穴と地の穴の2つに分かれ、そこでこの世における行動の10倍の報いを受ける」といったことが語られているという話をしたことがあります。そういうものに影響を与えていると私は思っています。

 だから、プラトンの『国家』にあるように、死んだあと二手に分かれて天国と地獄のようなところへ行き、そこで報いを受け、そして生まれ変わってくる。(つまり)輪廻転生する。そういったものの元になるものが、インドにあったのでしょう。そして、インドからギリシア世界へ影響を与えているのではないでしょうか。

 その中でも、インド人の時間観念、時代観念には非常に壮大なものがあって、大きくは循環しているのです。ですから、決して終末論でもなく、悲観論でもない。悪くなるのだけれど、悪くなってもまたリセットされる。

 神々も、ヒンドゥ教の中ではブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという最高3神がいるのは聞いたことがあると思います。ブラフマーが宇宙を創造して、ヴィシュヌが法螺(ほら)を吹きながら世界を回転させ、シヴァがそれを壊して、壊した後、また創造する。

 これはインドの悠久の思想で、4つの循環の時代がある。サティヤ・ユガ、トレーター・ユガ、ドヴァーパラ・ユガ、カリ・ユガ。それぞれ長さは(いろいろな説があるのですが)、4800年、3600年、2400年、1200年。仏教でも正法の時代、像法の時代、末法の時代がありますが、その元です。

―― なるほど。末法が来ると法が滅びるというものですね。

鎌田 そうです。でも、末法で滅びても、インドの場合はもう1回、ぐるりとめぐるので、決してそれが最後ではない。いわゆる仏教の末法思想だと、「この後はないのではないか」という不安に駆られます。けれども、インドの場合は、そこはもう1回リセットする。ある種スパイラル状に次の世界へ回転していくという、死と再生の繰り返しがあるのです。


●時間の観念「劫(カルパ)」の伝承とカルカッタの衝撃


 もう1つ、インド人はITでも、ものすごく発達した産業や科学技術の展開を今、示しています。0(ゼロ)という観念を生み出したのはインドです。そして、今の時間概念(「ユガ」という)や、循環する時代、時間の単位とも無関係ではありません。

 例えば日本でも、長い時間のことを「劫(ごう)」といいますね。その「劫」という言葉の元は、サンスクリット語で「カルパ」といいます。このことについて、最後に話して終わりにしたいと思います。

 私が学生時分、三枝充悳(さえぐさみつよし)という仏教学者に指導を受けました。その三枝充悳先生が語ったお話の中で、私が一番びっくり仰天した話は、これからお話しする天女の物語です。

 彼は『大智度論』や、ナーガールジュナの仏教のものすごく難しい哲学書の研究者でもありました。その中に、「劫」という時間単位について、いろいろな神話的説が述べられていたのです。

 一辺が4000里(今の2000キ...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。