●『論語と算盤』で立てた渋沢栄一の道徳経済合一説
少し日本の近代を振り返ってみたいと思います。
渋沢栄一は、当然、皆さんご存知ですよね。ただ、渋沢の著書をお読みになったことはありますか。一番有名なのは『論語と算盤』ですが、タイトルがおかしいでしょう。しかし、まさに渋沢は、そこでマックス・ウェーバー的な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を反復しようとしました。日本でもできるはずだと考え、「道徳経済合一説」を立てるのです。
『論語と算盤』は1916年が発刊されたのですが、その前から渋沢はこの議論をしているのです。冒頭で少し不思議なことを言っています。
「一日、学者の三島毅(中州)先生が、私の家へ来られた。自分が年賀状にもらった絵を見せた。そこには論語と算盤の絵が描いてあった。それを見て、面白いと言われた三島先生は、『私は、論語読みだ。お前は算盤の方だ。算盤を持っている人間が論語を論じる以上は、自分も算盤のことをやってみよう。論語と算盤をなるべく密着するように努めよう』と話された。」
●「正しい道理の富」を説いた近代資本主義の父・渋沢栄一
そして、こう言っています。
「富を成す根源は、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできない。」
これが日本の近代資本主義の父と言われている渋沢の考えです。
三島中州をご存知の方は、おそらく多くないかと思いますが、二松學舎(現在の二松學舎大学)をつくった人で、東宮(後の大正天皇)侍講を務められました。彼はフランスに詳しく非常に近代的な人でしたが、同時に論語や陽明学を近代的に読み直す作業を延々とした人です。非常に面白い人物で、キーパーソンです。夏目漱石も、若い時に三島に習っていますし、中江兆民も習っています。その三島と渋沢は、気が合ったのですね。
●エピソードを通し、繰り返し語った「勤勉という道徳」
渋沢は、作り話ではないかと疑いたくなるようなエピソードをわざわざ紹介します。自分の父親にいろいろな説教をされるのですが、その中にこういう話があったそうです。
「自分の実家の近所に勤勉な爺さんが住んでおり、その爺さんがこう言った。『俺は勉強して自分のことを聖齊(せいせい)していくほど面白いことはありませんから、俺は働くことを何より幸福に感じております。働いていくうちに働きの糟(富)ができる。これが世にいう金銀財宝だ。しかし、俺はこの身に残る糟粕を求めるために働くのでもなければ、それを意にかけてもいません』」
このエピソードを、渋沢は繰り返し論じたそうです。これは、先ほどご紹介したベンジャミン・フランクリンのエピソードと、全く同じでしょう。「勤勉」という道徳が日本にもあったことを、渋沢は語ってみせるのです。
しかし、よく考えてみたら、これはおかしいのです。このようなお爺さんが本当にいたわけはないでしょう。どちらかいうと、蕩尽系の人で、「パーッとやろう」「宵越しの銭は持たない」という人だったはずです。ですから、こういう勤勉な人が登場する物語をつくりたかったのでしょう。実際はよく分かりませんが、ここに注目するという点で、渋沢は日本版のウェーバーを目指したことが分かるかと思います。
●日本版プロテスタンティズムを表す近代陽明学を中国も発見していく
資本主義の精神は分かりました。では、日本版のプロテスタンティズムは何であったのか。問題はそこです。実は、先ほど三島に関してお話した近代陽明学が日本版のプロテスタンティズムだったのだろうと思います。
陽明学は、別名「心学」と呼ばれ、内面に関わる学なのです。日本の近代はそれを発見していったのですね。ある時期、「明治維新は陽明学的なものだ」「陽明学の精神にのっとっているのだ」という言説が流布していきます。
それは、当時の中国の政治家たち、革命家たちの間で広まり、梁啓超 (りょうけいちょう)、章炳麟(しょうへいりん)、孫文も、実は陽明学を発見していきます。「中国も陽明学に基づいた改革、革命、明治維新にのっとったものをやるべきだ」と主張していったのです。
●対立しながら、「陽明学」という枠組みを共有した井上哲次郎と内村鑑三
こういう陽明学主義が強固になっていったのは、三島とも非常に近い関係があったのですが、いくつかご紹介した中で一番重要なのは、井上哲次郎という東京帝国大学(現・東京大学)の哲学の先生です。
井上には江戸儒教三部作と言われるものがあります。その最初が『日本陽明学派之哲学』だったのです。これが決定版になりました。
いまだにこの図式からおそらく出ていないのではないかと思うのですが、世の中には西田幾多郎の京都学派が日本の近代の哲学だという話があ...