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『親ガチャの哲学』で考える、人生と社会との向き合い方
当たり? ハズレ? この人生は誰のせい?…「親ガチャ」という言葉をご存じの方も少なくないでしょう。これは、人間は生まれた環境によってその後の人生が決定づけられてしまうという考え方を端的に表した言葉です。生まれる国や、親の経済力、生まれ持った容姿などは、まったくの偶然によるものであり、生まれてくる子どもが選ぶことはできません。
もともとはスマホのソーシャルゲームの「ガチャ」に例えられたネットスラングにすぎないこの言葉は、次第に広がりを見せ、2021年にはユーキャン主催の「新語・流行語大賞」のトップテンに選出されました。
この言葉が流行語として選ばれた背景には、私たちの社会が抱える矛盾や問題があるのかもしれません。“もっと裕福な家庭に、魅力的な容姿に生まれたかった、いっそのこと生まれてこないほうがよかった…”といった価値観が若者を中心に蔓延している現在、私たちは自分の人生と、そして社会とどう向き合えばいいのでしょうか。
さて、「親ガチャ」ですが、多くの場合、それに外れたと思っている人たちの側から語られます。自分の人生がうまくいっていないのは「親ガチャ」に外れたからだ、ということです。このように考えれば、自分が苦境に陥った責任を親に転嫁することができます。戸谷氏は、親ガチャの結果によって人生を悲観的に捉えるこのような姿勢を「親ガチャ的厭世感」と名付けています。
これを甘えや怠惰だと批判する人は少なからずいるでしょう。ですが、本書の中で戸谷氏の眼差しは一貫して「親ガチャ的厭世感」に苦しんでいる人に向けられています。戸谷氏はこの考え方を肯定するわけでも否定するわけでもなく、ともに考えようという態度を取っています。「いま実際に苦しんでいる人々、親ガチャとでも言わなければ自分を保てないほどに追い詰められている人々」に向けて、ありうる処方箋を模索することが本書のテーマなのです。
本書の第3章では、反出生主義という思想について紹介されています。これは「生まれてこないほうがよかった」という、驚くべき思想です。南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネター氏が提唱したもので、近年注目を集めています。
この思想を解説するときに、戸谷氏はサブカルチャーの例を複数示しています。たとえば、尾田栄一郎氏の漫画『ONE PIECE』が取り上げられています。主人公モンキー・D・ルフィの義兄ポートガス・D・エースは、身寄りのない境遇だったため、幼い頃に周囲の大人たちから心ない言葉を投げかけられたことで、「おれは……生まれてきてもよかったのかな」と自問自答するシーンがあります。
また、『進撃の巨人』に登場する重要なキャラクター、ジーク・イェーガーは巨人の脅威を前にして「そもそも僕らは生まれてこなければ 苦しまなくてよかったんだ」と語ります。戸谷氏によれば、『進撃の巨人』はこのような反出生主義という思想との対決を描いた物語なのです。
このように、本書にはメジャーなサブカルチャーの例が豊富に含まれているので、哲学にとっつきにくさを感じている読者にとっても読みやすいといえるでしょう。
現代社会には自己責任論が根強く存在しています。これは、人間は自分の意志で行動を選択できるため、その結果は自分の責任として受け入れなければいけないという考え方です。このような前提に立っている限り、「親ガチャ的厭世感」に苦しむ人は減っていかないでしょう。
しかし、自己責任論とは反対の考え方、すなわち、人間には自分の人生を選択する自由はなく、すべては生まれてきた環境によって決定されているという立場を採用すると、今度は「責任」の概念が無効化されてしまうという大問題が生じてきます。
戸谷氏は、本書の中で、自己責任論を回避しつつ、また責任概念を放棄しない形で、「親ガチャ的厭世感」への処方箋を提示しようと試みます。その課題として「責任を出生の偶然性と両立しうるものとして概念化すること、それによって、運の不平等による分断を乗り越える社会のあり方を模索する」ことが挙げられています。
本書にはさまざまな哲学者が登場します。決定論で有名なスピノザや、もっとも弱い人の立場から社会を考えたジョン・ロールズ、他にもハイデガーやアーレントの思想などが次々に紹介されていきます。これらの哲学者たちの議論を参照しながら、戸谷氏は他者との対話による連帯に解決の糸口を見いだします。
「親ガチャ的厭世感」から抜け出すために必要なのは、社会における対話の場の創出である。「私」の声を、誰かが聴き、受け止めてくれるという信頼を持てるとき、人は自分自身と向き合うことができる。現代社会のニヒリズムに抗おうとした若き哲学者は、最後にそう結論づけています。
いかがですか。本書との出会いは偶然かもしれないけれど、一流の哲学ナビゲーターとともに歩む哲学思考の道は必然かもしれません。
もともとはスマホのソーシャルゲームの「ガチャ」に例えられたネットスラングにすぎないこの言葉は、次第に広がりを見せ、2021年にはユーキャン主催の「新語・流行語大賞」のトップテンに選出されました。
この言葉が流行語として選ばれた背景には、私たちの社会が抱える矛盾や問題があるのかもしれません。“もっと裕福な家庭に、魅力的な容姿に生まれたかった、いっそのこと生まれてこないほうがよかった…”といった価値観が若者を中心に蔓延している現在、私たちは自分の人生と、そして社会とどう向き合えばいいのでしょうか。
若き哲学者が「親ガチャ的厭世感」に立ち向かう
今回ご紹介する『親ガチャの哲学』(戸谷洋志著、新潮新書)は、新進気鋭の哲学者・戸谷洋志氏がこの問題に切り込んだ意欲作です。著者の戸谷氏は1988年東京都生まれで、ドイツ人哲学者ハンス・ヨナスの倫理思想を中心に、ドイツ語圏の現代思想を研究している関西外国語大学准教授です。また、専門の研究だけでなく、哲学対話などの実践的な活動にも積極的に取り組まれていて、一般向けに書かれた読みやすい著作も多くあります。主なものとして、『未来倫理』(集英社新書)、『友情を哲学する 七人の哲学者たちの友情観』(光文社新書)、『SNSの哲学 リアルとオンラインのあいだ』(創元社)など。さて、「親ガチャ」ですが、多くの場合、それに外れたと思っている人たちの側から語られます。自分の人生がうまくいっていないのは「親ガチャ」に外れたからだ、ということです。このように考えれば、自分が苦境に陥った責任を親に転嫁することができます。戸谷氏は、親ガチャの結果によって人生を悲観的に捉えるこのような姿勢を「親ガチャ的厭世感」と名付けています。
これを甘えや怠惰だと批判する人は少なからずいるでしょう。ですが、本書の中で戸谷氏の眼差しは一貫して「親ガチャ的厭世感」に苦しんでいる人に向けられています。戸谷氏はこの考え方を肯定するわけでも否定するわけでもなく、ともに考えようという態度を取っています。「いま実際に苦しんでいる人々、親ガチャとでも言わなければ自分を保てないほどに追い詰められている人々」に向けて、ありうる処方箋を模索することが本書のテーマなのです。
漫画やアニメで哲学する
本書の特徴は、抽象的で難しくなりがちな哲学の本でありながら、具体的な事例や漫画、アニメの例を豊富に取り入れているため、非常に読みやすいということです。戸谷氏はポップカルチャーの例を用いて哲学的な思考を展開する名手です。『J-POPで考える哲学』などの著作と同様に、本書においてもその才能が存分に発揮されています。本書の第3章では、反出生主義という思想について紹介されています。これは「生まれてこないほうがよかった」という、驚くべき思想です。南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネター氏が提唱したもので、近年注目を集めています。
この思想を解説するときに、戸谷氏はサブカルチャーの例を複数示しています。たとえば、尾田栄一郎氏の漫画『ONE PIECE』が取り上げられています。主人公モンキー・D・ルフィの義兄ポートガス・D・エースは、身寄りのない境遇だったため、幼い頃に周囲の大人たちから心ない言葉を投げかけられたことで、「おれは……生まれてきてもよかったのかな」と自問自答するシーンがあります。
また、『進撃の巨人』に登場する重要なキャラクター、ジーク・イェーガーは巨人の脅威を前にして「そもそも僕らは生まれてこなければ 苦しまなくてよかったんだ」と語ります。戸谷氏によれば、『進撃の巨人』はこのような反出生主義という思想との対決を描いた物語なのです。
このように、本書にはメジャーなサブカルチャーの例が豊富に含まれているので、哲学にとっつきにくさを感じている読者にとっても読みやすいといえるでしょう。
「自由」と「責任」の概念を揺さぶる「親ガチャ」
ところで、なぜ「親ガチャ」について、哲学的に考えなければならないのでしょうか。それは、「この概念が、私たちが当たり前とする自由や責任の概念を、揺さぶるものであるから」と戸谷氏は言います。現代社会には自己責任論が根強く存在しています。これは、人間は自分の意志で行動を選択できるため、その結果は自分の責任として受け入れなければいけないという考え方です。このような前提に立っている限り、「親ガチャ的厭世感」に苦しむ人は減っていかないでしょう。
しかし、自己責任論とは反対の考え方、すなわち、人間には自分の人生を選択する自由はなく、すべては生まれてきた環境によって決定されているという立場を採用すると、今度は「責任」の概念が無効化されてしまうという大問題が生じてきます。
戸谷氏は、本書の中で、自己責任論を回避しつつ、また責任概念を放棄しない形で、「親ガチャ的厭世感」への処方箋を提示しようと試みます。その課題として「責任を出生の偶然性と両立しうるものとして概念化すること、それによって、運の不平等による分断を乗り越える社会のあり方を模索する」ことが挙げられています。
本書にはさまざまな哲学者が登場します。決定論で有名なスピノザや、もっとも弱い人の立場から社会を考えたジョン・ロールズ、他にもハイデガーやアーレントの思想などが次々に紹介されていきます。これらの哲学者たちの議論を参照しながら、戸谷氏は他者との対話による連帯に解決の糸口を見いだします。
「親ガチャ的厭世感」から抜け出すために必要なのは、社会における対話の場の創出である。「私」の声を、誰かが聴き、受け止めてくれるという信頼を持てるとき、人は自分自身と向き合うことができる。現代社会のニヒリズムに抗おうとした若き哲学者は、最後にそう結論づけています。
いかがですか。本書との出会いは偶然かもしれないけれど、一流の哲学ナビゲーターとともに歩む哲学思考の道は必然かもしれません。
<参考文献>
『親ガチャの哲学』(戸谷洋志著、新潮新書)
https://www.shinchosha.co.jp/book/611023/
<参考サイト>
戸谷洋志氏のツイッター(現X)
https://twitter.com/toyahiroshi
戸谷洋志氏の研究室
https://hiroshitoya.com/
『親ガチャの哲学』(戸谷洋志著、新潮新書)
https://www.shinchosha.co.jp/book/611023/
<参考サイト>
戸谷洋志氏のツイッター(現X)
https://twitter.com/toyahiroshi
戸谷洋志氏の研究室
https://hiroshitoya.com/
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