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菩薩の心が現代社会から薄れた一因は戦後の民主主義にある

東大寺建立に込められた思い(4)建立を支えた知識

北河原公敬
東大寺長老
情報・テキスト
東大寺盧舎那仏
現代の日常生活で、他人に手を差し伸べることが減ったのは、困っている人と自分とが無関係だからだ。しかし東大寺の建立を呼び掛けた聖武天皇が目指すのは、他者を思いやる菩薩の精神を行き渡らせることだった。そのために聖武天皇が強調したこととは何だったか。東大寺長老・北河原公敬氏が「知識」について解説する。(全7話中第4話)
時間:15:54
収録日:2016/03/08
追加日:2016/12/17
タグ:
≪全文≫

●菩薩の心が発揮されにくくなっている


 前回、日本も昔は皆そうだったという言い方をしましたが、例えば阪神淡路大震災、あるいは東日本大震災の時、大勢のボランティアの方々が現地に行きました。そして、まったく関係のない方々に対して手を差し伸べられて、皆さまに心寄り添わせて一生懸命(活動を)やられていました。まさにあれが菩薩なのです。

 いざというときには、そうやってと他者のために思いやり、慮り、慈しみの心を持ってよく手を差し伸べているのですが、最近の日本人は、以前と違って日常ではそういうことがあまりないと私は思います。

 これは、例えとして良いかどうかは分かりませんが、最近、物騒な事件がよく起こります。例えば、2階で殺人事件があって、その家の近所の人に聞くと、「いや、普段あまり顔を合わせていないので、誰が住んでいたのか知らない。挨拶もあまりしたことがない」、あるいは「隣で何かあったけれども、普段あまり顔を合わせてもいないし、話もしたことない」というコメントが結構出てきます。

 他にも、例えばお年寄りが孤独死していたという話をよく聞きます。お節介を焼く必要はないのですが、せめて普段から、ちょっとしたことでいいから、それこそ「こんにちは」とか「おはようございます」、あるいは「元気ですか」というぐらいのことでも十分なのです。そうやって、他者を慮るという心持ちが薄れているのではないかと、私は思います。

 だからといって、もちろんまったく(そういう気持ちが)ないわけではありません。先ほども言ったように大震災のときには皆、一生懸命に他者に対して手を差し伸べているのです。もともとはあるにもかかわらず、普段はそれがあまり発揮されていないのです。


●自分に何も災いが降りかからないから、手を差し伸べない


 実は私、ロータリークラブに入っているものですから、少し前までこの地区のガバナーをしていました。この辺りは2650地区といいまして、奈良、京都、滋賀、福井の4県が一つの地区です。そのガバナーをしている時のことです。ガバナーは、各クラブを公式訪問しないといけないものですから、車に乗せていただいて、あるクラブへ行く途中のことです。たまたま信号が赤になって、(車が)止まったのです。そうすると、対向車線の車ももちろん止まります。

 その時、対向車線の歩道寄り側を、年配の女性が自転車で来て、信号が赤になったので止まったのです。しかし、バランスを崩して、そこでバタッと倒れてしまいました。私は、その反対側の車線で車に乗って見えていたので「あっ」と思ったのですが、反対側まではなかなか行けません。こちらの信号が赤になり、交差する方の信号が青になりましたので、横断歩道を人が渡り始めました。そうしたら、倒れた女性が見えていたかいなかったのか分かりませんが、2~3人はそのおばあさんのことを気にせず、そのままスーッと行ってしまったのです。その後、何人か後に来た青年が、おそらく「大丈夫ですか」と声を掛けたようで、その自転車を起こしているのが見えました。

 その彼はおばあさんに手を差し伸べていたのです。自分とはまったく関係のない人ですが、手を差し伸べて、その人のために自転車を起こしてあげたのです。最初に通りがかった人たちは、無視していたのか、分かっていたのに行かなかったのかは分かりません。でもこういうことはよくあります。

 なぜそうなるか。自分がそれに手を差し伸べなくても、災いなどは降りかからないし、自分の損にもならないからです。でも、もしそのおばあさんが自分の身内だったらどうするでしょうか。絶対に助けに行くと思います。つまり、行かなくても自分に何も降りかかってこないときには、見て見ぬふりをするかどうかは知りませんが、手を差し伸べないのです。今の日本は、そういう状況が多いのではないかと私は思っています。


●菩薩の心が薄れた一因は、戦後の民主主義にもある


 おそらくそうなっているのではないかと思って申し上げるのですが、日本は、先ほど話したように戦後、経済が猛烈に発展しました。それと同時に、それまでとは違って、民主主義、そして個の尊重、個人の権利の尊重が大切にされてきました。ところが、どうかすると、その個の尊重が、個人の権利ばかりの主張となり、他者はどうでもいいという風潮になりつつあるのかなという感じがします。そういうことから、今のような状況が現れたかと、私は思っています。

 だからといって、日本人皆がそうなっているわけではありません。いざというときには、本当に関係のない人にも汗水たらして手を差し伸べることができているわけですから、そういう心持ちは、もちろんあるのです。あるけれども、普段は出せない。もう少しそのあたりで、菩薩の心、菩薩の精神、そういうものが...
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