●大仏造立の詔に見える、聖武天皇の思い
では大仏造立の詔に入ろうと思います。これは『続日本紀』の中に出てくる記事をそのまま転用しています。「大仏さまにこめられた思い:一枝の草、一把りの土」というタイトルを書きました。原文の書き下し文を書いてありますので、それをお読みいただけたらと思います。
詔は、「朕薄徳を以って、恭しく大位を承け、志兼済に存して勤めて人物を撫す」という言葉で始まります。朕は、もちろんお分かりだと思いますが、聖武天皇ご自身のことです。「薄徳をもって」、つまり聖武天皇は、ご自身が自分のことを徳が薄いと思っておられるのです。自分自身は徳が薄い、にもかかわらず、「恭しく大位を承け」た。天皇についておられるわけですから、大位とは天皇の位を意味します。自分は徳がない、徳が薄いにもかかわらず天皇の位に就いているということです。そして「志(こころざし)兼済に存して、勤めて人物を撫す」ですが、志としては、あらゆるもの、全てのものを救おうとしてきた、人やモノの全てに、ご自身は努めて慈しみをかけてこられたと言われています。
そして「率土の浜すでに仁恕に霑うと雖も、普天の下、未だ法恩洽からず」と言われます。「率土」とは、地面、地の続く限り、地平線の果てまで、です。「仁恕(じんじょ)に霑(うるお)うと雖も」は、先ほどの言葉と同じで、思いやりや憐れみなどの心が、ずっと地の続く限りすでに潤っている、ということです。しかしそうはいっても、「普天の下、未だ法恩(ほうおん)洽からず」、つまりそういう思いやりの心や憐れみの心が行き渡っていたとしても、天下全てに「未だ法恩洽からず」。この法恩とは、実は仏法の恩のことです。仏法の恩が行き渡っていないといっているのです。
法恩とは、仏の教えです。仏の教えのそれが行き渡っていない。つまり聖武天皇という方は、先ほど紹介したように、華厳経を自ら聞かれるくらいの方ですから、仏教に対して非常に心を寄せておられたのです。歴代の天皇では、仏教を重要視された天皇もおられたのですが、聖武天皇という人は、神道に対してだけでなく、仏教に対しても非常に心を寄せておられました。ですから、何事も為政者として携わられるときには、この仏教、仏法を念頭に置いておられました。天皇としては、聖武天皇が、歴代では最も仏教に重きを持っておられた、仏教を取り入れておられたといってもいいと思います。ですから、ここでもわざわざ「仏法の恩がまだ行き渡っていない」と言われたのです。
●生きとし生けるもの全ての安泰を願う
その上で「誠に三宝の威霊に頼りて、乾坤(けんこん)相泰(やすら)かに、万代の福業を修めて、動植咸(ことごと)く栄えんことを欲す」と言われます。「乾坤」とは、天と地で、すなわち天地のことです。「相泰かに」は天地を安泰にということで、「万代の福業を修めて」の万代とは末代まで、福業とは優れた事業のことで、これを修めるということです。
そしてここが大事なのですが、「動植咸く栄えんことを欲す」と、こう言われるのです。実はここが、修二会の行法の目的の一つに入ってきている部分です。動植とは、動物も植物もということです。これこそが、この大仏造立、大仏さまを造ろうという聖武天皇の目的といってもいいかもしれません。動植は、生きとし生けるもの全てを表しています。衆生(しゅじょう)といってもいいでしょう。そういうものが全て、「咸(ことごと)く栄えんことを欲す」、つまり、幸せであってほしい、安泰であってほしいという願いを欲すと言われるのです。衆生、すなわち動物であろうが植物であろうが、とにかく生きとし生けるもの全てが幸せに暮らせる社会、そういうものを実現したい。そういうものを実現するために、大仏さまを造ろうと呼び掛けているのです。ひいてはこれが、国家の安泰にもつながるのです。
●修二会に受け継がれる、大仏造立の意思
そして先ほどから言っているように、修二会の行法にも通じます。修二会の行法では、人々の幸せなどをいろいろ祈ると言いました。ですからこの修二会の行法が終わりますと、宮中にもお礼が献上されます。宮中の両陛下の安泰などをお祈りしているからです。別にこれは、(宮中から)頼まれたからやっているわけではありません。しかし、昔からこの行法はそういうことになっているので、終わったら(お札が献上されます)。
また一方で、国家の安泰も祈っていますから、内閣総理大臣、あるいは閣僚の名前も読み上げてお祈りなどしています。これも別に頼まれてはいません。終わったらやはりお札が届くのです。身近でしたら、知事や市長にもいきます。人々の幸せに頑張ってもらわなくてはいけないからです。あるいは一般の皆さまからも、色々な祈りや願いごとが来るのです...