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東大寺は「勧進帳」でも話題!復興に力を尽くした源頼朝

東大寺建立に込められた思い(5)「一枝の草」を持て

北河原公敬
東大寺長老
情報・テキスト
聖武天皇が東大寺の建立で呼び掛けたのは、心からの誠意を持ってそこに参加せよということだった。そうであれば、たとえ微々たる力しか提供できなくても構わない。ここに、東大寺建立の大きな意義があったと、東大寺長老・北河原公敬氏は語る。そしてこの精神は、建立以降の時代にも受け継がれた。(全7話中第5話)
時間:10:26
収録日:2016/03/08
追加日:2016/12/24
≪全文≫

●造立のプロジェクトに必要なのは、誠意だ


 「天下の勢を有つ者は朕なり。此の富と勢を以って此の尊像を造らば」、次がこの天皇の思われるところです。「事や成り易く、心や至り難し」というのです。自分の権力や富によって大仏さまを造ろうとして事業をやったならば、形の上では簡単である。だがそれは、天皇の意図したところとは違う、つまり天皇が意図としていることを本当に成就するのは困難だということです。天皇の思っているようなことにはならないと言っています。

 そして「但恐るらくは」ですが、恐れるのは「徒に人を労すること有りて、能く聖を感ずること無く、或いは誹謗を生じて、反って罪辜に堕さんことを」で、「徒に人を労すること有り」、つまり先ほどのように自分の富と権力を使うやり方をしたのでは、ただ徒に人々に苦労を科すばかりで、「能く聖を感ずること無く」、すなわち聖の心を理解させることができない、ということです。そして「誹謗を生じて」は、そういう謗りを起こさせてしまうということで、「罪辜に堕さんと」、つまりついには罪に落ちる者が出てくることがあるといいます。

 「是の故に知識に預かる者は、懇ろに至誠を発し、各介福を招き、宜しく日毎に盧舎那仏を三拝し、自ら当に念を存し、各盧舎那仏を造るべし」。知識に預かる者、すなわちこの大仏造立という事業に参加する者は、「懇ろに至誠を発し」(心からなる誠意を持って)、「各介福を招き」(大いなる幸せを招き)「宜しく日毎に盧舎那仏を三拝」(1日心の中で盧舎那仏を拝みなさい)ということです。「三拝し、自ら当に念を存し、各盧舎那仏を造るべし」、つまり三拝をし、そして盧舎那仏を拝むといわれます。


●たとえ微々たる協力であっても、分け隔てなく受け入れる


 「如し更に人有りて、一枝の草、一把の土を持て、像を助け造らんと情に願わば、恣に之を聴せ」。これがまた、この詔の中では重要なところです。これは、知識として参加してもらうための勧誘のくだりになります。「如し更に人有りて、一枝の草、一把の土を持て、像を助けん」。たとえわずかな力であっても、「一把の土」、つまり自発的に大仏さまのこの造立に参加しようとする人は、誰でも許可するという姿勢です。

 ここにも、大仏さまを造ろうという一つの意義があるかと思います。つまり、一枝の草や一把の土は、本当に微々たるものです。そんな棒っきれや土であっても持っていく。そういうものを持ってでも、大仏さまを造る事業に参加したい、協力したいと申し出てくる者は、全て喜んでこれを受け入れようと聖武天皇は言っています。知識として参加してくる者は、たとえそれが微々たる力であっても、喜んで受け入れなさいというのです。そういう姿勢は、聖武天皇が大仏さまを造立した時の、大きな特徴の一つだと思います。


●「一枝の草」の精神は、その後も引き継がれた


 実は東大寺は、聖武天皇の意図するところ、その精神をずっと受け継いでいます。鎌倉時代の前、源平の戦いの頃、平重衡によって奈良は焼き討ちに遭いました。その時、東大寺も(二月堂などは焼けませんでしたが)大きなお堂が灰燼に帰したのです。それを復興するのですが、その復興の時にも、聖武天皇のこの思いが引き継がれています。

 鎌倉時代の復興の時には、俊乗房重源(ちょうげん)上人という方が、大勧進として勧進職、つまり寄付集めの代表、責任者でした。その重源上人が勧進をした時に「尺布寸鉄と雖も一木半銭と雖も」と言っています。これも、先ほど見た聖武天皇の「一枝の草、一把の土」と同じことです。本当にごく僅かな微々たるものでもいい。「必ず勧進の詞に答え、各奉加の志を抽んことを」と言っています。つまり同じことです。

 さらに資料に、歌舞伎の勧進帳のことが少し出ています。鎌倉復興の当時、東大寺復興のために勧進をして諸国を回る場合には、関所を通してもらえたのです。鎌倉幕府がそういうことを認めていました。なぜかというと、ご存じの通り、鎌倉は源(みなもと)、源氏方です。平氏と源氏が戦って、源氏が勝ちます。そこで源頼朝は、この東大寺復興のために非常に力を尽くすのです。

 自身で多額の寄付もしますが、それだけでなく、例えば有力な大名に、この仏像はこの大名に復興させる、こちらの仏像はこちらの大名に復興させると割り当てました。そうやって協力をさせたのです。大仏さまが出来上がり、改修が終わった時の落慶法要にも、源頼朝は大勢の軍毅を連れて奈良までやって来ています。

 そこで「勧進帳」という演目ですが、ご承知の通り、義経一行が弁慶と共に安宅の関を通る時の話です。そのため、東大寺復興のための勧進であれば通してもらえるということがあるので、演目の中でそれを言うのです。弁慶が勧進帳を読むという形になっています...
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