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鎌倉幕府

鎌倉幕府
鎌倉幕府とは源頼朝が樹立した、組織だった中央集権体制として日本初の武家政権である。成立は頼朝が平氏打倒のため挙兵した1180年、主だった政治機関を設置した1183年、征夷大将軍となった1192年と諸説あるが、近年では守護・地頭を置いて全国政権となった1185年設立説が最も有力である。源家将軍3代の後、北条氏が実権を握り執権政治を実行。東国を基盤に封建体制を整備し、承久の乱(1221年)で公家勢力を鎮圧した後は北条泰時が御成敗式目を制定。堅実な政権運営を行い2度の元寇もよく退けたが恩賞の少なさ等から御家人の不満が高まり、1333年後醍醐天皇によって倒幕された。この時代は日宗・日元貿易の活発化、禅僧の往来による仏教信仰の広がり等を見せ、公家の「あはれ」に対する武家の「あっぱれ」を尊ぶ独自の武家文化が華開いた点でも注目される。「10MTVオピニオン」では、歴史学者山内昌之氏が日本初の武家の本格的年代記として意義深い『吾妻鏡』、北条泰時の歴史的評価が成されている『神皇正統記』について解説しつつ、現代の政治家のリーダーシップ、ひいては日本人のアイデンティティーに及ぶ議論を展開している。また、東大寺の北河原公敬長老は、東大寺復興という観点から源頼朝を論じている。

藤原定家『明月記』にも出てくる「和田合戦」とは何か

鎌倉殿と北条氏(8)御家人同士の主導権争いと和田合戦
「承久の乱」という大きな歴史の流れに向かう一方、鎌倉幕府内部では北条氏が御家人の中心を占めるための地域紛争が連続していた。梶原景時、畠山重忠などの滅亡後、鎌倉幕府にとっても北条氏にとっても極めて重...
収録日:2021/11/08
追加日:2022/02/27
坂井孝一
創価大学文学部教授

「王朝国家」と「武士」が誕生した理由は大唐帝国の解体

「武士の誕生」の真実(1)10世紀の東アジア情勢と「王朝国家」
日本における中世の主役といえば、武士である。鎌倉時代、室町時代、江戸時代は、武士が政権を掌握した、まさに「武士の時代」だった。では武士はいったいどこから誕生したのか。これまでの教科書的理解では、農...
収録日:2021/10/22
追加日:2021/12/15
関幸彦
歴史学者

天皇家や朝廷の衰微が元号制定に大きな影響を与えた

元号とはなにか(3)鎌倉・室町・戦国時代の元号
新しい元号への注目が集まる中、歴史的遺産と呼べる元号本来の意味合いや変遷について、日本人は案外知ることが少ない。平安貴族の定めた元号の風習は、武家支配の世の中をどのように生き延びたのか。シリーズ第3...
収録日:2018/09/13
追加日:2018/11/25
山本博文
元東京大学史料編纂所教授

東大寺は「勧進帳」でも話題!復興に力を尽くした源頼朝

東大寺建立に込められた思い(5)「一枝の草」を持て
聖武天皇が東大寺の建立で呼び掛けたのは、心からの誠意を持ってそこに参加せよということだった。そうであれば、たとえ微々たる力しか提供できなくても構わない。ここに、東大寺建立の大きな意義があったと、東...
収録日:2016/03/08
追加日:2016/12/24
北河原公敬
東大寺長老

『神皇正統記』の内容とは…3つの重要な要素

神皇正統記と日本人のアイデンティティ(2)正直・慈悲・決断
『神皇正統記』の歴史観・世界観を支えるのは「正直・慈悲・決断」の三要素である。この三つに照らした本書における北条泰時への評価や、承久の乱に対する解釈に触れつつ、建武の新政の挫折の原因について、北畠...
収録日:2014/03/27
追加日:2014/08/28
山内昌之
東京大学名誉教授

「吾妻鏡」が徳川家康に与えた影響とは?

吾妻鏡とリーダーの要諦(3)徳川家康への影響と効果
『吾妻鏡』は、後世にいろいろな効果を及ぼしていく。第一に数えられるのは徳川家康への影響だ。将軍頼朝を補佐した「御門葉」は、徳川では「御三家」に姿を変え、官職では「二人制」の知恵が引き継がれる。シリ...
収録日:2014/02/26
追加日:2014/04/24
山内昌之
東京大学名誉教授

『吾妻鏡』は鎌倉幕府の何を描くための歴史書だったか?

吾妻鏡とリーダーの要諦(2)その執筆の意図を探る
『吾妻鏡』は鎌倉幕府の正史ではなく、編年体で書かれた将軍年代記であり、「源氏に厳しく北条に甘い」という特徴を持つ。そこに込められた書き手の意図と、必然とも言える『吾妻鏡』終止符の意味を解き明かす。...
収録日:2014/02/26
追加日:2014/04/17
山内昌之
東京大学名誉教授