●動物たちの子育ては、残酷さと隣り合わせ
四番目に、「道徳は動物にもあるのか」ということです。ここまでは人間のことばかりを言ってきましたが、動物と比較するとどうなのでしょう。
テレビ番組を見ると、「動物は道徳的な行動をする」といった映像が山ほど出てきます。すぐに思い付く例は、例えば子育てです。動物によっては、親類までが子育てを手伝います。兄が弟の世話をしたり、おじさんがおいやめいの世話をしたりします。こういう場面をパッと見ると「わ。すごい思いやりだな」と思うわけです。
ただし、この協力・分業の範囲は血縁(遺伝的に近縁な個体)に限定されています。血縁外の関係では思いやりとは程遠い残酷さが待っています。例えばペンギンは、親のいない子がすぐ隣で野垂れ死にしそうでも何もしてやりません。餌を求めてきても、もちろん追い払います。
レンカクでは、お父さんが子育てをします。お父さんが子どもを脇に抱えて動き回る姿は、とてもかわいいものです。でも、その間、お母さんは何をしているかというと、ほかの子どもを殺しに行っています。子どもが死ぬと、別のお父さんが交尾してくれて、自分の卵を産めます。だから、殺して回っているのです。
要するに、道徳の適用範囲は血縁だけなのです。もちろんこういう人は人間にもいますが、人間社会では絶対に尊敬されないと思います。人の道徳の及ぶ範囲は、遺伝的に離れた個体、要するに赤の他人も含んでいるのです。
●動物の「道徳的」行動と人間の「道徳」の違い
動物の子育てをいくら褒め称えても、それは人間の道徳と同じとは言えません。子どもを慈しむのはいろいろな動物にとって当たり前の行動です。人間よりも慈しんでいるように見える動物も、いっぱいいます。しかし、それが人間と同じかというと、全然違うのです。
「より大規模で複雑な協力・分業行動はどうですか?」と問う人がいるとします。例えばライオンやオオカミが群れでする狩りはかなり大きいですし、50~60頭で構成されるチンパンジーやゴリラの群れには、赤の他人も入っています。協力・分業する範囲に、直接面識のある血縁外の個体も入ってくるということです。言い換えれば、道徳の適用範囲が、血縁と直接の知り合いに及ぶことになります。では、これは人間と同じでしょうか。
人間の道徳の及ぶ範囲をよく見てみると、そこには会ったこともないしこれから会うこともない、遺伝的に遠い個体が含まれているのです。ここがポイントです。その典型例は、宗教、民族、国家などの巨大社会です。例えば「日本人」と言ったとき、われわれは99.999パーセントの人には会ったこともないし、これから一生会うこともありません。それでも、これが仲間だと思って、道徳を適用しています。
この違いこそが、ヒトと他の動物との決定的な差異です。後から述べますが、多くのテレビ番組や研究などでは、行為の内容ばかりが言われています。こういうことをしたから道徳的だ、こんなふうに慈しむから道徳的だ、と言うのですが、そこではないのです。道徳に似たような行動は、いくらでも動物の中に見つけられますが、そうではなく、適用範囲が人間と他の動物では本質的に異なるということです。道徳の内容ではなく、その適用範囲が異なっているのです。
●ヒトの巨大社会では、赤の他人が道徳の対象になる
ヒトの巨大社会の特殊性をもう一度復習しますと、道徳の適用範囲が、血縁+直接の知り合い+会ったことも、これから会うこともない遺伝的に遠い個体(見ず知らずの赤の他人)であることです。つまり、見ず知らずの赤の他人と見ず知らずのまま仲間になれるわけです。
これに対する反論として、「ハチやアリは?」という話があります。彼らも巨大な社会をつくっていて、極めて多数の、会ったこともこれから会うこともない個体と協力しています。百万匹、千万匹といるコロニーがありますので、当然絶対会わないものもいます。でも、実はコロニーの構成員は、遺伝的に極めて近い存在です。働きバチ同士は遺伝子を75パーセント共有しているので、兄弟よりも近いのです。
ということは、彼らの社会はヒトの個体(個人)1個に相当していて、彼ら自身の個体はヒトの細胞のようなものだといえるのです。例えば、女王バチが生殖細胞で、労働階級が体細胞のような感じです。このような遺伝的背景の違いを無視して、ヒトの社会と彼らのコロニーを直接比べるのは不適切です。よくアリの社会を見て、「アリはすごい、人間もちゃんとしなきゃ」のように言われるのは、とんでもない間違いです。しかし、これはヒントもくれます。
●「バーチャルな出会い」の発見
では、どうして人間の巨大社会においては、これまで会ったことも、これから会うこともない赤の他人にわれわれは...