●3つの視点で考える社会と働くということ
連合総研で理事長をやっております古賀伸明です。本日は『これからの社会と働くということ』について、大きく3つぐらいのパーツに分けてお話ししたいと思います。
今、大きな世界の潮流の中、グローバリゼーションが私たちの働き方、暮らし、そして生きるということそのものに非常に影響を与えているということで、1つ目は、「グローバリゼーションの激化と新たな枠組みの模索」についての話です。2つ目は、「働くとは一体何なのか」について考えてみたいと思います。3つ目は、「働き・暮らし・生きるための基本」についてで、私の拙い経験から感じていることについて話をしたいと思います。
●近年の転換点-1989年、1997年、2008年
まず最初に近年の転換点として、3つの年代についてお話しします。1つ目は1989年、2つ目は1997年、3つ目は2008年です。2008年はいうまでもなくリーマンショックで、アメリカの金融危機に端を発した世界同時不況が起こりました。ここで私は、経済や社会の政策の枠組みがこれまでと同じものでいいのかという壁に世界全体が突き当たったのではないかと思っています。
1997年はご案内の通り、アジア通貨危機が起こりました。日本でも証券会社や銀行が破綻をしました。そして、働く者にとっては1997年が賃金のピークでした。つまり、そこから日本の賃金はずっと下り続けるのです。加えて、1997年まで増加をしていた、いわゆる正社員の数が1997年から減少の局面に入っていきます。さらに、1997年にさまざまなことが起こった結果として、翌年の1998年からは自殺者が3万人を超える、そんな状況が十数年続きます。ということで、こちらもまた一つの大きな転換の年ではなかったかと思っています。
●グローバリゼーション激化へ向かう大きな節目
1989年は、私がいうまでもありませんが、日本では昭和から平成に時代が変わりました。そして、何と1989年の12月の日経平均株価は3万9,000円弱という値を付けました。まさにバブルのピークでした。90年代に入って一気にバブルが崩壊をしていく、そんな節目でもありました。また、消費税が導入されたのもこの年です。そして、少し余談になりますけれども、昭和の歌姫といわれた美空ひばり氏もこの年に亡くなっています。あるいは、私事で恐縮ですが、私の出身である松下電器(現パナソニック)の創業者、松下幸之助氏もこの年にお亡くなりになっています。
このような大きな転換期の年ですが、世界を見てみますと天安門事件が起きたのもこの年です。そして、いうまでもなくベルリンの壁の崩壊はこの年に起こりました。ベルリンの壁の崩壊は、東西ドイツの融合のみならず、世界の秩序を保っていた東西冷戦の終焉の引き金を引きました。1991年にソ連邦が崩壊をします。そして、それを待っていたかのように、共産主義、社会主義国家が雪崩を打つように市場経済、資本主義に参入をしてくるのです。
また、90年代当時、私たちは同時にIT革命と呼んでいました。普通の人にもコンピューターが使えるようなソフトが開発されたのです。いわゆるIT社会が進展をしていきます。そして、東西の壁がなくなり、東西冷戦が終焉して世界が単一市場化していきます。そんな中でグローバリゼーションがどんどん激化をしていく、そのような引き金を引いたのが1989年であったということです。
●拡大する経済社会にどう質的豊かさをもたらせばいいかが大きな課題
グローバリゼーションの激化は人、物、金、情報が一瞬のうちに国境を越える時代をつくりました。人、物、金は同次元で語れないのは十分に分かっていますが、時間の関係で人、物、金が一瞬のうちに情報も含めて、国境を越える時代をつくり出しました。
しかし、一方では宗教や民族の対立、あるいは、社会的・経済的格差、加えて、健康や環境問題という世界の持続可能性にとってのリスクも瞬時に国境を越える時代をつくり出したのです。量的、面的に拡大をしていくこの経済社会にこれからどう質的豊かさをもたらせばいいのか、また公正な社会にしていくためにはどうすべきか。これは私たち人類に突きつけられた大きな課題ではないかと思います。
現にアメリカにあるプリンストン高等研究所のダニ・ロドリック教授はグローバリゼーション・パラドックスを提示しています。すなわち、グローバル化と民主主義、そして国民を主権とする国家、この3つは同時に相成り立たないと言うのです。私たちは1つを捨てなければならないという、いわゆるトリレンマを抱えているのだということを彼は提示しているのです。もちろん私も同意見ですが、彼は民主主義と国民を主権とした国家がグローバル化をいかにコントロールしていくかということが重要ではないかと思っているのです。
加え...