●なぜ「安倍一強」状態は生じたのか
それではこれまでのお話の大本である、政治改革について議論していきましょう。
「政治改革は失敗したのだ」と言われます。なぜなら、現在は「安倍一強」であり、党内議論も衰退し、野党が没落したからです。しかし、なぜこうした事態が起きてしまったのでしょうか。昔の日本政治は一党優位制であるといわれてきました。ですが、現在は一党優位ですらなく、安倍一強としかいえない状況です。
●政治改革は失敗したわけではない
これを考えるためには、まず安倍一強と一党優位制では、何が違うのかを考えなければなりません。私は政治改革が失敗したとは思いません。政治改革は、さまざまな制度改革の効果が及び、薬が効いたという意味で、失敗ではありませんでした。しかし、効いた薬の副作用が、前回までにお話しした内閣人事局の例のような形で出てしまいました。こうした改革の効果と共に現れる副作用をどこまで制度設計時に組み込むか、ということが問題です。
普通の薬であれば、マウスを使って実験を行い、副作用がないことを確認した上で、人間での治験でも確認し、認可が下ります。しかし、制度設計の場合では、後でお話しする一部を除いて、副作用までは十分に検討されません。
●選挙制度改革のインパクトを軽く見るべきではない
もう1ついえるのは、政治改革の中心にあった選挙制度改革は、劇薬であったということです。政治家の中には、政治改革を選挙制度改革に矮小化し、政治改革全体で起きている事態をすごく軽く見ることで、見下そうとした人がたくさんいました。
しかし実際には、選挙制度改革は憲法改正と同等に重要な改革です。東京大学准教授で、憲法学が専門のケネス・盛・マッケルウェイン氏によれば、日本の憲法は他国のものに比べて、非常に文章が短いという特徴があります。憲法が短い代わりに、憲法に書かず、法律事項にしている項目がたくさんあるのも特徴です。他国であれば、同等の事柄は憲法に明記されているため、これを変更したい場合には憲法改正せざるを得ませんが、法律事項にしているということは、その内容については憲法改正をしなくて済むということです。
選挙制度も、ほとんどの国では憲法に明記されている項目であり、簡単に行うことはできません。しかし、日本の場合は法律事項であるため、政治改革を行う際に、選挙制度を実行できてしまいました。これは憲法改正相当のことであるといえます。だからこそ、選挙制度改革は矮小化されというべきではなく、気が付かないうちに憲法改正を行ったようなものだと見なすべきです。
●一連の政治改革は憲法改正に匹敵する
その他にも、憲法改正に匹敵する、次のような一連の政治改革があります。小選挙区比例代表並立制の導入の他には、小沢一郎氏(自由党代表、衆議院議員)が先導して行っていったクエスチョンタイム、政府委員の廃止、副大臣・政務官の導入といった改革が挙げられます。
2001年には、橋本龍太郎氏が中心に行った行政改革がありました。省庁再編が注目されましたが、実際には内閣機能の強化に効果があったと思います。また、いわゆる経済財政諮問会議も、この行革によって設置されました。
もう1つ重要なのは、2003年におけるマニフェストの導入です。選挙の前に「わが党の政策」として政策を訴えるということは、それまでも行われていました。しかし、それをマニフェストという、より責任ある形で提示しようとする試みが、この時期行われたのです。これが転換点でした。
統治機構の改革については、憲法改正によって行っていかなければならいことがたくさんあります。衆議院と参議院の関係や、中央と地方の関係についてなどです。
●政治改革は、イギリス型の議院内閣制であった
実際に改革が向かった方向は、イギリス型の議院内閣制でした。例えば、首相のリーダーシップを強くする首相公選制は行いませんでした。小泉氏や中曽根康弘氏は首相公選制に積極的でしたが、特に小泉氏は自分が首相になってからは消極的になりました。
首相公選制は、例えばイスラエルでは現実に行われていました。イスラエルでも首相のリーダーシップを強くするために導入されましたが、結果が裏目に出ることが分かり、2001年に廃止されました。テルアビブ大学の憲法学者や政治学者が、首相公選制をよかれと思って提言したのです。日本の政治改革はイギリス型の制度を模倣しようとしましたが、経済財政諮問会議や日本版NSC(国家安全保障会議)は、例外としてアメリカのシステムを模範にしています。イギリスもこういったアメリカのシステムを導入しているため、齟齬が起きないと見なされているようで...