●重要な国なのに、ロシアの実情はあまり知られていない
先だって、私は若い事業家を20人ほど連れてロシアを訪問しました。サンクトペテルブルグとモスクワで一緒にさまざまなことをしましたが、ロシアの人々は大変オープンで、フレンドリーで、親切だったという印象です。
それから、街が予想外にきれいでした。多分、建物の壁は洗った後ではないかと思いますが、道路にちりとかごみが全然ありません。サッカーのワールドカップの直後だったので、おそらく街をきれいにしたのでしょう。ロシアでは上月豊久大使に大変お世話になりましたが、上月大使も「ワールドカップの影響は相当ありました」と話していました。
また、モスクワ大学で親日派随一のオレーグ・ヴィハンスキー教授のチームにいろいろレクチャーをいただいて、ディスカッションをして、大変参考になりました。
日本の場合、専門家はロシアの情報をたくさん持っていますが、一般の人々はロシアの情報が非常に少ないため、知識も理解も乏しいのではないかと思います。しかし、考えてみるとロシアはそれなりの大国です。日本としては今のロシアの実情についてもっと知るべきであると思います。
ロシアが重要な国だというのは、例えば冷戦時代にはアメリカの対極であったことに加え、軍事力は今もなおアメリカにかなり比肩するからです。また、科学技術、特に軍事や宇宙技術は非常に高いものを持っています。よって、GDPは小さくとも外交的な影響力は非常に大きいのです。今は米中が2大強国ですが、ロシアも非常に重要なところでいろいろな働きをしています。特に日本にとっては、北方領土問題と経済協力が課題になっているので、私たちはよく知っておいた方がいいでしょう。
●日本とロシアは、歴史的に深い関係にある
実は、日本とロシアは歴史的にかなり深い関係があります。ペリー提督が黒船に乗って日本を訪ねてきたのは1854年ですが、その1カ月後にエフィム・プチャーチンというロシアを代表する海軍軍人が開港を求めて日本に来ています。
それから、日本とロシアは大変な戦争を1904年から1905年に行いました。日露戦争です。これは黄色人種が白人を破ったという世界史で初めての大事件なので、アジア諸国、中東諸国は大変なお祝いをしてくれたということがあったわけです。第二次世界大戦に入ると、満州の利権を日本とロシアで争いました。1939年、日米戦争が始まる直前に、日本はノモンハンで戦車隊がロシアに大敗をしました。日本はこの事実をずっと伏せていました。
戦後、北方領土問題が出てきましたが、何よりも重要なことは、戦後のロシアはヨシフ・スターリンが支配していたことで、これは世界的に大変な脅威だったのです。国際共産主義(コミンテルン)という運動を展開して世界中を共産主義に染め上げようとしました。日本にも非常に強力な共産党が現れて活動したのですが、中国はコミンテルンの影響を受けて共産主義国家になったという状況があり、これが、世界が冷戦構造に入るきっかけです。
冷戦構造が深まってくると、アメリカは日本を同盟国にした方がいいと考えました。日米戦争をやった直後まで、アメリカは「日本という国はない方がいい」という戦略でしたが、ガラッと変えました。ロシアの目の前にある日本をパートナーとした方がいいということです。それ以降、日本は戦後の繁栄を享受しましたが、変な話、それはスターリンのおかげといえるかもしれません。スターリンの脅威がなければ、日米関係はその後の関係のようにはならなかったと思います。
ただ一方で、日本人は前からロシアの文化が非常に好きで、ファンが多いのです。レフ・トルストイをはじめ、いろいろな有名な文学者もいます。音楽でも、ピョートル・チャイコフスキーなど、ロシア音楽家は秀逸です。それから、バレエなどの芸術も豊かで、ロシアファンが多いということは伝統的にありますが、現代のロシアについての私たちの理解は、一般的には大変少ないと思います。
私が連れていった若い20人ばかりの事業家の皆さんは、大変仕事を一生懸命やっている方々ですが、ロシア訪問が初めてという人が多く、大変良い勉強の機会になったのではないかと思います。
●この100年間で3つも国の体制が変わったロシア
それはそれとして、今日は皆さんと一緒に、ロシアの経済と国際戦略、そして特に日本との関係を整理して振り返ってみたいと思います。
経済の前段ですが、ロシアはこの1世紀に国の体制が3つ変わるという非常にユニークな経験をしています。20世紀に入って最初の20年間ほどは、ロシアは帝政でした。ツァーという皇帝がいました。それが、1917年に共産主義者によるボリシェヴィキ革命が起きて、ロシアは共産主義、計画経済の国になり、体制ががらりと変わり...