●日本では「理想の国」と描かれていた社会主義国ソ連
第二次世界大戦直後のロシアは、日本では「理想の国」と描かれていました。特に社会主義に信奉する人たちは、ロシア方式がいいと思っていました。
ここでちょっとしたエピソードをお話しします。ベルリンの壁が崩壊した直後に私はロシアと近隣諸国を回ったことがあるのですが、その時、ポーランドのワルシャワの広場に映画館が幾つかありました。その映画館では、常時上映している短い映画があるというので入場して観ようとしたのですが、次のような映画でした。ナチ・ドイツ(ナチス・ドイツ)がワルシャワの街を粉々にしている。そこで逃げ惑う人を火炎放射器で殺したり、いろいろなことをしているけれども、その後でロシア軍が入ってきて、ポーランドを解放する。そして、病院を建て、小学校を建て、公園を造り、理想の国をつくった、という映画です。
ベルリンの壁が崩壊した時も、その映画を外国人に一生懸命見せていたのですが、日本の人たちもそのように思っていた時代があるということです。
●実際には生産性は向上しなかったソ連
ところが、そうしたロシアという国の真実はどうだったかというと、共産主義の計画経済で、これは計画経済ですから競争がなく、人に勝とうというインセンティブがありません。インセンティブがないと技術革新は起きません。技術革新が起きないと生産性は向上しません。
そこでこんなことが起きました。第二次世界大戦直後は、ソ連と西欧諸国の所得は大体同格でした。ところが、ベルリンの壁が崩壊して新しい時代になった時に、ロシアの所得は、中国もそうですが、欧米諸国に比べると30分の1から40分の1で、もう競争になりませんでした。なぜかというと、数十年間、生産性が向上してないからです。
ロシア経済はそのような状況の中で、だんだんと困難に直面するわけです。特にレオニード・ブレジネフは、1970年代~80年代ごろにかけてロシアを支配していた人ですが、この時代、ロシアは硬直化しました。
いろいろな矛盾が起きてきて、「これではたまらない。改革しなくてはいけない」ということで、その後、ミハイル・ゴルバチョフという人が現れて改革をするわけです。
まず改革は「ペレストロイカ」といいますが、情報公開(グラスノスチ)をします。いろいろなことをやったのですが、全部空回りして、ますます経済が悪くなっていきました。その結果、ゴルバチョフは反対派に幽閉をされてしまいます。
●ソ連の崩壊とエリツィン時代の経済的苦境
幽閉されたゴルバチョフを救出するとともに、その間に全く新しい体制をつくろうということでボリス・エリツィンという人が立ち上がりました。彼はロシアの国会を戦車に乗って砲撃するという派手なことをやって、大統領になりました。
大統領になって何をするかというと、彼は市場経済の信奉者というのですが、市場経済をほとんど分かっていないのです。「皆、私有制にすればいい」と思ったらしく、国民に財産チケットを配り、それでロシアの国有財産をどんどん買っていいといったのですが、一部の大変ずる賢い人たちがそのチケットを大量に入手し、多くの国有財産を手に入れたのです。この人たちを「オルガルヒ」といいます。特権階級です。特権階級がその資産を蓄積してしまいました。
しかし、経済はすでに大混乱をしており、やがて崩壊しました。その結果、所得は激減。インフレは年間数1000パーセントになりました。すごいことに1990年代、ロシアの国民の平均寿命が数年間短くなっているのです。この時代はよほど厳しい時代だったのだと思います。薬が手に入らなくて多くの人が死んだということです。
ロシアは、国際社会に対しては1998年に債務不履行でとうとう崩壊したのですが、かつてアメリカと肩を並べて冷戦の一極を担っていた国の国民所得がこの時代、新興国、かつての途上国並みになっていたのです。非常に苦しい時代でした。
●プーチン流の統治法には3つの特徴がある
その経済の激動を、じっとエリツィンの副官として見ていた人が今のウラジーミル・プーチン大統領です。彼はエリツィンが病気で倒れた後、大統領選に出たのですが、この時は一部の富裕層(オルガルヒ)の力を利用し、またアメリカの支援も得て大統領選に勝利しました。
しかし、このオルガルヒはこのプーチン時代、自分が力を持っているのをいいことにクレムリンの中を闊歩して、利権をどんどん蓄積していました。プーチン大統領はもともとKGBの人ですから、それを許しません。そこで、オルガルヒの特権はある程度認めるが、経済発展に資するところだけにし、政治的なことに活用をしたら厳しく取り締まることにしたのです。
このプーチン流の統治法は、大きく分けると3つほど特...