●元号を創出した前漢・武帝の意図
そもそも元号の本質はなにかということを、さかのぼって考えてみましょう。
元号は、皇帝や王が自らの治世で時間を区切るものです。長い時間がずっと一律に続くのではなく、「この天皇のときには、その時間をこう呼ぶ」ということを示しています。
そもそも元号を創出した中国・前漢の武帝の意図は、皇帝が領土だけではなく時間をも支配するというものでした。日本においては、中国の制度を導入しながら、中国からは独立した国だということを主張するために、独自の元号を使ったと評価することもできます。
もう一つの意図は、元号を使うことが、その時代の近代性や国家をつくった象徴でもあったことです。
日本では、南北朝の時代に、南朝と北朝の二人の天皇が並存して、ともに独自の元号を建てることになります。そのため、南朝方の武士は南朝の元号を使い、北朝方の武士は北朝の元号を使います。元号を使うことは、その元号を制定した君主に従うことであったことをよく示す例です。
●世界で元号を使っているのは日本だけ
これは東アジアでも同じことで、元号を使う伝統があるのは、中国、日本、東アジア諸国です。
例えばベトナムでは、980年ごろに「太平」という元号を使い始めます。これは独立国だから、こういう元号を使ったわけで、中国の明に併合されると独自の元号はなくなります。そして1428年、独立を回復すると「順天」という元号を建てます。元号を中国以外のものにするということが、その国の独立を示しているわけです。
1945年、ホー・チ・ミンによる革命で王朝が滅びることになります。王がいなくなったため元号は廃止し、社会主義国でもあったことから西暦が使われるようになります。今のベトナムには元号はありません。
朝鮮半島では、かつて高句麗、新羅、渤海などの国が分立した時、それぞれ独自の元号を使っています。1392年に建国した李氏朝鮮は明の冊封国になり、明の元号を使います。明の皇帝支配の下にいる王ということになります。明が清に交代した後は、朝鮮は清の元号を使います。
元号の本家である中国では、清の滅びた1911年、最後の皇帝の愛新覚羅溥儀の時代に使われた「宣統」を最後に、元号は使われなくなります。
朝鮮は1897年に清から独立し、大韓帝国という国号を定めて以後、「光武」「隆煕」と独自の元号を使うことになります。しかし、1910年の日韓併合により日本の明治が使われるようになりました。
こうして東アジアでは、中国も朝鮮も元号を使わなくなりましたので、世界中で日本だけが元号を使う国になっているわけです。
●否定された敗戦時の「元号廃止論」…元号こそ独立国の象徴
日本においても、元号廃止論などがあったので、簡単に見ていきましょう。
昭和の時代、日中戦争が始まって国民統合のために天皇の統治を重視する皇国史観が強くなります。神話である初代神武天皇の即位を元年とする「皇紀」が、元号に代わって使われるようになります。
例えば、昭和15年はちょうど皇紀2600年に当たるため、「皇紀2600年祭」が盛大に開催されました。ちなみに「ゼロ戦」戦闘機は、皇紀2600(昭和15)年に正式採用されたため、その「ゼロ」を取って命名されています。
第二次世界大戦に敗北し、連合国の占領時代には、天皇を統治者とする大日本帝国憲法に代わって天皇を日本国民の象徴とする日本国憲法になります。この時、天皇の統治の象徴である元号の廃止論が起こりました。これまでは天皇が主権者であったので元号を用いてきたが、天皇が主権者でなくなるのになぜ元号が必要なのかという議論が、戦争責任論などとともに起こったのです。
昭和25(1950)年2月、参議院で「元号の廃止」が議題に上がり、議論されたことがあります。参考人として国会に登壇した東京大学教授の坂本太郎氏は、元号の使用は「独立国の象徴」であり、西暦の何世紀のような機械的な時代区分などよりはるかに意義深く、「大化の改新」「建武の中興」「明治維新」など、日本史の歴史的名称をなしているので、廃止する必要は全然認められず、むしろ「存続しなければならん意義が沢山に存在する」と述べました。
元号が独立国の象徴であることが大きな理由であり、さらに歴史教育や和漢を振り返る上でも役に立つことが多いので、廃止する必要はないのではないかという議論でした。
●戦後の40年間は法的根拠のなかった「元号」
大日本帝国憲法下では、旧皇室典範第12条に元号のことが明記されていましたが、日本国憲法下になって、皇室典範からその条文が削除され、法的根拠はなくなっていました。
しかし、その後も国会や政府、裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に元号が使われていたわけです。昭和52(1977)...