●低成長、そしてディジタル化、人口減少へ
平成を振り返るということで、今回は平成を経済的に見ることにします。そうすると、低成長、あるいは世界の成長に乗り遅れた日本という、どちらかというと後ろ向きの30年だったのではないかと思います。大きくバブル崩壊があって右肩上がりの経済が終わり、その修復に非常に時間がかかってしまいました。今日はそのお話をします。
さらにいえば、アナログ時代からディジタル時代に転換するのが、この30年間です。しかし、日本にはGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)に相当するものがない。もちろん日本もインターネットを中心とするビジネスが盛んになったのですが、世界をリードし稼ぎ頭になるようなものがありません。
そして、人口は減少していく。正しくは高齢化が非常に進んだ社会になったのであり、人口はそれほど伸びないという時代です。
●成長率、消費者物価指数、地価、そして株価の推移
その中で、なにゆえ日本はバブルの処理に時間がかかったのか。「失われた10年」あるいは「失われた20年」といいますが、これについて特に政治家との関係でお話しします。
この30年を振り返ると、まず経済成長をあまりしなかったということが挙げられます。
グラフを見ると、経済成長率はやはり1960年代、70年代とは大きく違うということが、よく分かると思います。
2つ目は物価についてですが、消費者物価指数を見ると分かるように、オイルショックの頃に非常に物価が上がったその後、比較的安定しているのが日本の物価です。これを一体どう読むかということと、日本経済、マクロ経済の運営とは密接な結びつきがあるのですが、この消費者物価に注目するリフレ派を私は一貫して批判してきました。つまり、問題はそこではないでしょうということです。
もう1つ、地価の推移を見ると分かるのですが、1990年頃に非常に地価が高騰しました。図で示されているのは200パーセント、300パーセントですが、現実には10倍、20倍になったところもあり、その地価が落ちて、つまり不良債権として20分の1にもなってしまったというようなところもあるわけです。ですから、この種のフローではなくストックが高騰し、それが不良債権となって、経済の足を引っ張ったということです。
もう1つ、株価の推移を見ると分かるように、史上最高値を付けた1989年の大納会があり、それ以降、日本はその株価を追い越すことができませんでした。そういう意味では、確かに最近、少し株価が上がって、2万円まで回復したといいますが、当時は4万円を目前としていたわけです。このように、株価も上がりませんでした。
●「失われた20年」と金融機関の破綻
ではこの「失われた10年」あるいは「失われた20年」は、一体なぜ起きたのか。成長率は低いまま、物価は低位、そして株価も最高値を更新することができない。平成生まれの学生に聞くと、右肩上がりを経験していないということをよくいいます。
この「失われた10年」あるいは「失われた20年」で、非常に多くの金融機関が統廃合されました。住専をはじめとして北海道拓殖銀行、山一證券、そのほか多くの金融機関が破綻したのです。昔は金融機関に就職すると一生安泰で給料も高いといわれていたのですが、われわれの同世代で同じ銀行の名前で定年までずっと勤め上げた人間は、ほとんどいません。メガバンクも3つに統合されてしまいました。このように、日本の金融は大きな荒波をかぶったといえます。
●2003年までかかった不良債権の処理
ただし、なぜ不良債権の処理にこれほど時間がかかったのかという問題があります。私は経済学者ではありませんが、実は1990年、この不良債権が膨大であるということに早くから気付き、さらにいえばなぜ外国系の証券会社は株価が下がっているところでも利益を上げることができるのかと思ったのです。当時、丸善に行って本を探したら、外国の本では今でいうデリバティブに関するものが山ほどありました。株価が上がろうが下がろうが、利益を上げる方法はたくさんある、ということに気が付いたのです。
この不良債権問題は景気循環であるといった人たちもたくさんいるのですが、そうではなく、これは回復まで随分と足を引っ張って、手間がかかってしまったということなのです。
では、一体いつ頃まで引きずってしまったのか。この不良債権は2003年のりそな銀行...