●ギブソンの到達点ともいえる視覚論
それでは、ジェームズ・ギブソンの生態学的心理学の中心にある視覚の理論、生態光学(エコロジカル・オプティックス)について、お話しします。これが彼の到達点です。一言でいうと、「視覚の根拠は空気の中の光にある」ということを、彼なりにまとめた理論です。
伝統的な視覚研究では、真っ暗闇にした実験室の中に小さな光点を提示して、そこまでの距離を実験参加者に聞くという方法が取られていました。視覚は触覚のように直接対象に触ることはできません。ですから、これは空間視、奥行き視といった近接感覚ではない、視覚の性質を調べるために行った実験です。
19世紀のドイツ以来、長く続いてきた視覚研究の伝統からギブソンが抜け出すきっかけを得たのは、1940年代のアメリカ空軍心理学ユニットに参加し、パイロットの視覚を研究したところから始まります。
●ギブソンの気付き-視覚は多重な注意のシステムである
当時は有視界飛行で計器はあまり使われていない時代でしたから、パイロットが何を見ていたかというと、1つは地面のレイアウトや「肌理(きめ)」の流れで、そこから現在の位置や移動距離を知るということです。それから、非常に重要な空中での機体姿勢、定位のコントロールは、「地面の見え」を使って行われていました。これは今でもグライダーの有視界飛行などでは、まさに地平線とか山並み、地面のパターンによって飛行するわけです。
また、安全な着陸をするためには滑走路の「見えの拡大率」という流れを使っているということが分かりました。それから、向こうから飛行機が飛んできた場合、敵の飛行機、例えばメッサーシュミットなのか、友軍のグラマンなのかを見分けるときには、機体が動く変化の中でどの機種かを見分ける、つまり変化から不変なことを知るということで、これらのことをパイロットは同時にやっているわけです。
ギブソンはここで1つ非常に重要なことに気付きました。視覚とはたくさんのことに同時に注意をしている、多重な注意のシステムになっているということでした。
●面のきめと光が媒質(空気)を視覚にする
第1の発見は、視覚世界に地面があるというものです。これはギブソンが最初の著書『視覚世界の知覚』の中で、ビジュアルフィールド(視野)に対してビジュアルワールド(視覚世界)という言葉を出しているのです。その視覚世界には地面があると言っているのです。われわれはモノを見ているときに、見ている所には必ず地面がある、地面の上で視覚というものは成立している、ということに改めて気付いたのです。
よく見てみると、地面にはテクスチャーがあります。ご覧いただいているのは全部、ギブソンの本で使っている写真ですが、地面には細かな粒々があります。テクスチャーという言葉を使いましたが、地面にはそういうものがあります。
実はよくよく周りを見てみると、テクスチャーは全てのサーフェス(面)にあります。これらもギブソンの写真ですが、グレープフルーツかオレンジか、この柑橘類を見るとフレッシュさが分かります。パンを見るとおいしさが分かります。または、素材が木なのか石なのか。こういったことが全てテクスチャーに現れているわけです。
このサーフェス(面)のテクスチャーと光が、空気を視覚にしているというのです。少々分かりにくいかもしれないので説明すると、肌理(きめ)があって光があると、媒質の空気が視覚になるということです。
●偉大な発見-包囲光(アンビエント ライト)
伝統的な視覚論では、点から出て点にまとまる放射光というものが、視覚の根拠だと考えていました。放射光がつくる焦点の集合である網膜像が視覚の根拠で、その像を解釈する脳が世界の見えを構成すると普通いわれており、今でもそういった議論が中心です。しかし、空気を考えてそこに入れてみると、随分違った話になるのです。
光源から来る放射光は、決して放射という直進するレベル(光が1秒間に30万キロメートル進むというレベル)にとどまっていません。放射光はサーフェスにあるテクスチャー、粒々や空気中のちりや水粒にぶつかって、全方向に散乱します。すなわち「スキャッタード・リフレックス(散乱反射)」が起きます。
面のきめや空気中のちりや...