●古代イスラエルで始まったメサイア信仰と選民思想
前回まで戦後のイスラエルの難しさを説明しましたが、実をいうとこれは古代から続いていることです。イスラエルという国は非常に歴史の古い国で、紀元前千数百年前から「シオンの丘」と呼ばれる土地に住む人々がいました。ところが、飢饉か何かをきっかけに、彼らはエジプトに逃げていきます。エジプトは当時の最先進国で、強大な力を持つファラオが支配し、ピラミッドを造らせていました。逃げ込んでいったユダヤ人たちは、奴隷になってしまいます。
奴隷労働に苦しめられたユダヤ人ですが、頭のいい人たちですから、きっと万物創造の神が自分たちを救ってくれるだろうということで考え出したのが「救世主(メサイア)」で、メサイア信仰の始まりになります。また、神が救ってくれるのは「私たちだけ」だろうという「選民思想」を持つようになります。その後、2000年間にわたって世界中から憎まれる一つの理由になったのがこの思想でしたが、これは民族性といえるのでしょう。
長い時を経てエジプトを出、紅海をわたったイスラエル人ですが、巨人ゴリアテと戦ったダビデ王の息子であるソロモンが、エルサレムに第一神殿を造ります。その後、多くの民が強制移住させられる「バビロン捕囚」が100年ほど続いた後、帰ってきたヘロデ王が第二神殿を造ります。非常に立派な神殿だったと伝えられます。ところが、ローマ軍の徹底的な攻撃によって神殿は消えてしまい、土台の西の壁だけが残されました。今も皆がお詣りに行く「嘆きの壁」です。
●キリストへの原罪とマサダ要塞の悲劇
ローマ帝国はもともと多神教でしたが、キリスト教の影響を受けていきます。その時に逆らったのはユダヤ人でした。
ピラトという監督官が統治していた頃、二人の囚人が送り込まれます。一人は痩せて髭ぼうぼうの男、もう一人は泥棒でした。この二人のどちらを処刑すればいいのだとピラトが聞くと、ユダヤ人が「髭ぼうぼうの方だ」と言った。それがイエス・キリストでした。彼は十字架に架けられ、殺害されてしまいます。このことをキリスト教徒は許しません。「ユダヤ人がキリストを殺した」というのですが、もともとキリスト自身がユダヤ人です。ともあれ今でも許さない。ユダヤ人はそういう原罪を背負った存在です。
エルサレムが焼かれ、第二神殿も粉々になってしまった時、ローマを非常に憎むユダヤ人が1000人ほども、死海のほとりに籠りました。ヘロデ大王が離宮として造った「マサダ(要塞)」という城がそこにあったのです。
1万数千人を数えるローマ兵がこれを囲み、3年にわたり攻め続けますが、城は難攻不落でした。ローマ軍はユダヤ人の捕虜に坂を造らせ、軍隊が上がれるようにします。籠城していた人々は、ある晩集まり、「もう陥落は目の前だ。籠城は続けられない」と話し合います。その頃残っていたのは300人ほどで、うち兵士が100人だったといいます。兵士は家族たちを全員殺した後、お互い同士も殺し合い、ローマの司令官が上がってきた時には、ほとんど全員が死んでいたという有り様でした。
この時に殺されないで残った2人の女が、この顛末を物語りました。ユダヤ教では自殺は最大の悪と見なされ、自殺した人の権利は認められていません。しかし、さすがにこれは、古代イスラエルの最後を守った英雄ではないかといわれ、最近ではイスラエルの陸軍初年兵が全員、ここを歩いて上がることになっています。世界中の人が観光に訪れる場所であり、私たちも観に行きました。
●ディアスポラとポグロム、そしてシオニスト運動
その後のおよそ1900年間、彼らは「ディアスポラ」といって世界中を放浪させられます。その間、イスラエル人は土地が持てない。土地が持てないと農業も工業もできないので、科学と芸術と金融で頑張る以外にない。それが今のユダヤ人の特徴にもなっています。芸術家にもたくさん素晴らしい人がいるし、ノーベル賞も大半はユダヤ人です。
そのような中、ロシアとポーランドが、ユダヤ人に土地所有を認めると言い出したため、19世紀になるとユダヤ人が大量に移動します。ところが、この地域の人たちはちょっと調子が悪くなると、「ポグロム」といって大量殺戮をしかけてくる残虐さでした。ポグロムを逃れるため、この地のユダヤ人は命がけでイスラエルに密航するようになるのです。
皆さんの中には『屋根の上のバイオリン弾き』というミュージカルを観た方もいらっしゃると思います。テヴィエというユダヤ人の一家が、ポグロムを逃れて雪の中をさまよって逃げていくという物語です。イスラエルの人はあのミュージカルが大好きです。
どちらにせよ、これではたまらないという憤懣の最中に、セオドア・ヘルツェルというジャーナリストが立ち上がります。彼はオー...