●城塞都市という形が生んだ「朝貢」というビジネス形態
では、3回目の『中国の「なぜ」』についてお話ししたいと思います。中国では、我々がよく知っているように「朝貢外交」など、「朝貢」という言葉があります。一体なぜ、中国では「朝貢外交」という言葉があるのか。朝貢を求めるのかということをお話ししたいと思います。
この「朝貢」という意味がわかると、さらに中国という国の権力構造や中国という国は一体何であるのかがわかると思います。
「朝貢」というのは読んで字の如く、「朝」は「朝廷」の「朝」です。これに「貢」(みつぐ)ということになります。では、朝廷というものが王様、国家権力の場所であるという意味は何かと言うと、必ず、王権、王様の権力というものは朝に広場で訓示をするからです。だから「朝の庭」=「朝廷」と言われており、「朝」という字が王権を表す言葉として定着しました。その王権に対する貢物だから「朝貢」と言います。
中国というのは、どちらかと言うと商業の国です。中国はどこに行っても城塞都市です。もともと国というのは囲みですから。つまり城塞があり、囲われたところのなかで権力が集中し、王様あるいは各地域の諸候は必ず城塞のなかに囲われている。日本のように、お城があって周辺に城下町があるのは珍しい。ヨーロッパもそうですが、中心を必ず城塞、城壁で囲むんですね。その外にいる人たちがそのなかに入ることが許されるのは商売です。なかに入ってきて、人参でも肉でも、外でつくってきたものを売りに来る。地域の王様の許可を得て城塞のなかに物を売りに来る。言ってみれば、宮廷や王朝は、もともとは市場のことなのです。そうすると、そこに入ってくるわけだから、入ってくるときに当然、所場代というか、商売をするわけだからいくらか払うわけです。そのいくらか払ったお金というのが税になっていくわけです。
つまり、最初から中国では、巨大な王権ができる前から、各地域で城壁を囲んで、そこに所場代を払って取引に来て、商いをするわけですから、言ってみれば、中国における王様というのは、「ビジネスの総元締め」と考ればいいのです。
●「仲間・味方」と認めつつ、「中心はあくまでも中国」の姿勢
そうしますと、それがどんどん大きくなっていくと、北京でもそうですが、最初は周辺から珍しい物を持って取引に来るけれども、それがだんだん拡大していくと、「中国のあそこに行けば、こんな取引ができる」ということで、中原の周辺からどんどん集まって来る。「売らせてくれ」と物を持ってくる。そうすると、中国は「地大物博」と言われ、「何でもある国」ですから、「何か持ってくるなら、よほど珍しい物を持って来なさい」というように、どんどん広がっていく。そして、その取引をしたら、仲間だと認めるということです。
中国の歴史において「敵か味方か」とは何かというと、「朝貢」、つまり市場、宮廷に何か物事を持って来て、御礼を言われて、帰りにお土産を貰っていけば、それは仲間、敵ではなくて仲間という感覚なのです。中国の古代以来、「敵と味方」というのは、朝貢のスタイルをとってやって来て、物を売ったり、珍しい物を持ってきて、代わりに中国から物を貰って帰る、こういう取引関係があったことを「朝貢」という言い方をするわけですね。
だから、中国は歴史的に見てもそんなに乱暴な国ではなく、ビジネスを中心にして、そういう形で「朝貢」というスタイルをとれば、「あなたは味方」ということになる。但し、そういう意味ではベトナムも朝貢国家であり、朝鮮半島もそうです。あるいは中国周辺の国々もシルクロードのようなところを通して物を持ってきて、朝貢する。それが外交で、中国のなかでしきたりになっていく。中国では、通商関係さえあれば、言ってみれば敵ではなく仲間なのです。しかし、「中心はあくまでも中国だ」ということが抜き難くあるのです。
●「朝貢」は今なお中国の外交に深く根ざしている
ですから、いまに即して言っても、それはいまでも残っていて、例えば日本の政治家たちが大挙して中国に行く。中国から見れば、2人や3人行っても意味がない。いまから何年前か、小沢さんが百何十人の民主党の政治家を連れて人民大会堂に寄って、国家主席の胡錦濤さんと一人30秒から40秒の時間で全員が写真を撮りました、国家主席が何の狂いもなく一人ずつ握手しては写真を撮ってという具合です。言ってみれば、これは一種の朝貢外交に近いんですね。日本から見れば「あんな恥ずかしいことを」ということですが、中国から見れば、「そうやって政党が友好を求めていま握手に来た」ということでもあり、これはほかの国には絶対にないのです。
例えば、アメリカの大統領が日本から来た政治家100人と1分ずつ握手するということは絶対にな...