●国際裁判・ドイツの場合~ナチスの責任と司法取引~
前回、『なぜ「中国は「歴史認識」にこだわるのか」』ということの前段階の話をしましたが、続けます。そうしますと、その戦争が終わったあとに、とんでもない罪状を人類は抱えてしまった。しかも抱えたのが敗戦国であるドイツや日本だったわけです。
ドイツの場合は「人道に対する罪」ということを課せられましたが、その対象はナチズムでした。つまり、ナチスという集団が人類史上かつてないような、例えばユダヤ人ならユダヤ人という一つの民族の撲滅、抹殺を図った。これは明らかに戦争犯罪を超えた、戦争の行為を超えた、まったく次元の違う犯罪であったという罪状を付けてしまったわけです。
そうしますと、ドイツからしてみれば、それを完全に受け入れるしかなくなってしまうところまで追いつめられてしまった。ある面で言えば、裁判ですから論争はできたのですが、一切それをやめた。取引したわけです。「全部認める」と。「すべての罪はナチスにあります」と。人道に対する罪を犯したナチスにすべての責任がある。一般の国民とナチスの関係者とは違いますよと認めさせた。つまり、そこに司法取引があったわけです。ですからドイツは、その後に世界中から歴史認識を問われることはなかったわけです。一切の抗弁をしませんでした。
●国際裁判・日本の場合~「A級戦犯」と裁判への認識不足~
他方、日本はどうかと言うと、日本の東京裁判における流れがあったわけです。つまり、日本がやったあの戦争というものの最高責任者は誰であるかということ。結局それに「A級戦犯」という名前を付けてしまったわけです。日中が国交正常化するときの大原則がありましたが、「中国の民衆も日本の民衆も、一部軍国主義者の誤った国策によって被害を受けた。だから、中国の民衆も日本の民衆も等しく被害者だから、中国の民衆は日本に損害賠償をしない」ということ。つまり、中国側は日本に対して、東京裁判を受け入れた日本がそのままA級戦犯を戦争の指導者であった、中心であった、思想であった、それさえ認めればいいという解決方法を出したのです。中国はそれでいいと思っていた。なぜならば、日本は東京裁判を受け入れて戦争の責任者が処罰されたことで免責されたということがあったからです。
しかし、日本側がそこで忘れていたことがあったのは、「この裁判は取引である」という...